最近の私をかいつまむと

1月、いい感じで寒くなってきましたね。

こんなに冬が暖かかったら春が失われて4月くらいから夏が始まるのではないだろうか、なんて危惧してた私には朗報です。

 

さて、久々にブログを書こう、なんか書こう、と思っていたのですがうまいことネタが降臨してこない。話が広げられない。うんうん唸って考えてたけれど、出ないときに無理矢理振り絞って書いても薄っぺらい記事しか書けないので、いったん寝かせることに。

かといってこんだけ唸ったのに何も書かないのもヤダなあ、ってことで、ちょびっと自分の近況をば。

 

 

■ここ数日のこと

母が休暇を使って関西に遊びに来ていた。

最終日の今日、「どこ行きたいん?」という問いに対して母の口からリクエストとして出て来た「京都水族館」へ行ってきた。

水族館なんて何年ぶりだろう。高校の修学旅行で行った美ら海水族館以来?なんてドキドキびくびくしながら足を踏み入れたけど、結構楽しめた。

中でも私はオットセイの泳ぎに魅了された。いやー、気持ち良さそうに泳ぐのよ、彼ら。

 

んで、メインイベントとしてやってたイルカショーを最後に見た。もちろん、イルカ可愛かったし賢かったんだけど、私が一番胸打たれたのは最後にトレーナーのお姉さんが言い放った台詞。

 

「私たちトレーナーは、これだけの方が見てくださっている以上、いいパフォーマンスを見せたいと毎回思っています。でもイルカは、パフォーマンスがうまくいくかどうかなんて気にしていません。彼らにとって大事なのは、今楽しいかどうかなのです。だから、私たちトレーナーはどうやって彼らを楽しませ続けよう?と考えながら日々接しています。」

 

いや、もう泣けたよね。なんか。

イルカの哲学のなんてシンプルで美しいこと。ちょっとウルってきたわ。

 

 

■やってること①

去年の年末、会社の先輩と飲みに行った。

その方は本当天才的に面白い方で(周りみんながそう認めてるのに「自分は凡人だ。何も持っていない。」と言い張っているところがほんまの天才、という感じがする)わたしが敬愛している先輩なんだけれど、美味しいお酒とごはん片手にいろいろと話してる中で、先輩が去年色彩検定に挑戦し合格したことを知った。それで、今年はその上の級の取得を目指してるらしいんだけど、受験が6月でまだ結構時間があるので、それまでの埋め合わせもかねて2月に漢字検定を受験する、ということも知った。それを聞いて、私の中の何かがロックオン。「私も受けます!」そう言って、気がついたら申し込んでたよ、漢字検定。しかも「◯○さんが2級を受けるのなら、私は準1級を受けます!」なんて余計な尾ひれを付けて。

 

でね、気がついたらね、受験日もうすぐなんです。2月7日。

でもね、テキストはびっくりするくらい進んでないんです。

 

いや、2級までだとなんとなく日常生活で見聞きする字が多いからなんか覚えやすいんだけれども、準1級の顔ぶれ見たら、「いや、あんただれ?平成の世になってから誰かがこんな言葉使ったことある?」っていうようなのがまあわんさか出てきまして。実用性とか即効性を感じられないと学習が身に付きづらい私の性格と、まるで水と油のようにせめぎあっているよ。

 

合格率10%ちょっとらしいし形勢は完全不利だけど、と、と、とりあえず当日までがんばりやす。

 

 

■やってること②

去年11月から宣伝会議主催の編集・ライター講座に通ってる。ほぼ毎週土曜日午後の時間をまるまる遣う半年間の講座。投資した費用はかなり高額。けれど、すでにその価値を十分に感じている。

講師の方は主に京阪神地域で活躍されている編集者さん・ライターさん。講義では心構えからノウハウ、裏話までかなり多岐のことを話してくださる。周りの受講生も、そうした職を志している方から、今やっているお仕事の幅を広げるために受講されてる方、あとは現役の編集者さん・ライターさんまでさまざまで面白い方が多い。

 

「どんなに優秀な方から良いお話を聞いても、優秀なメンバーに囲まれても、結局力を付けられるかは自分しだい」ということが一番の学びだったし、これからもそれを痛感していくと思う。だからこそ、実践・実践・実践に限るね。

 

毎回参加するたびに、自分は何が好きなのか、何をしたいのか、を思い出させてくれる。

それに、「面白い!」「悔しい!」「カッコワルい!」みたいな感情を、いっぱい揺さぶられるのだ。

課題出題のペースと量が増え、いい感じにちょっと大変になってきた。認められれば実際に媒体で書くチャンスも与えてくれたりと恵まれた環境なので、力の試されどころ、がんばりやす。

 

 

■やること

小説書きます。3月末締め切りの賞に応募します。

だがしかしかけてない。①と②に振り回されてるうちに。

なので割り切った。漢検が終わる2/7までは書かない。ネタだけストック。そして、1ヶ月半で書き上げる。

コレに関しては、クオリティどうこうでなく久々に小説を一本書ききって送ったった!!ということの方が自分にとってのまずミッションやから、つべこべ言わず頑張る。

 

 

他、ブログとリンクするようなネタを仕込んではいるのだけど、形にするにはかなり時間のやりくりを考えないとな、といったところ。こちらはちょい出しで。

 

 

 

一部だけど、こんな感じ。

というわけで、今年は頭ん中でいろいろ考えるんじゃなくて、作業します。行動します。形にします。ニュータイプの私になります。ぜい。

『あなたとわたしの話をしよう』

久々に地元へ長い帰省をして、今日大阪へ帰って来た。安心感すごい。もうどっちが故郷だかよくわかんない。

 

実家では食事・洗濯・掃除に関しては何もしなくても与えられる環境で過ごし、友達との再会もたくさんあった。ローカルな遊園地で年を越したり、丑三つ時に初詣に行ったり、初日の出を見たことはいい思い出だ。地元の町は、自然に恵まれている。中でも、海はすごい。海岸線をドライブするのは、好きだ。(わたしはペーパードライバーなので、いつも助手席から見るだけだけど)

 

 

でも、やっぱり地元の町には、わたしがあの町を飛び出したくなった原因にあたるものが、たくさん転がっていた。

 

誰々が結婚しどこで働いてるという話、近所の誰々さんは病院に通ってるよという話、町を徘徊する変な人がいるよという話、テレビに映る芸人の揚げ足取り。少し調子を合わせつつも、そんなノイズが溢れていて、耳を塞ぎたくなった。

 

皆の会話の主語はいつも、「あの人」だ。

 

自分自身が、

何をしているのか

何を感じているのか

何に悩み、どうしたいのか

そんな会話をすることは、かなり少ないかもしれない。

 

 

あの人のことを話すのであれば、

テレビの話をするのであれば、

 相手は誰だっていいはずだ。

 

 

あの町には、ある種の共通の価値観が流れている。万人に信じられている幸せの方程式みたいなのが合って、なにかとそこの枠組みにはめようとする。その枠に入らない人は、変わり者と指を指されるし、幸せになれないよと鼻で笑われる。笑ってる本人は、他人を笑う暇があるくらいには退屈なのに。

 

そーゆー大きな流れや、その他多くの窮屈なものに耐えられなくなったのが中学のときで、そこから一刻も早く脱出しようと思っていた。そして、大学入学と同時に関西に来た。

 

関西には、地方から出てきた友人もたくさんいた。最近の同年代は家族を大事にする世代なのか、「一度は出てきたけど、将来は地元で恩返ししたい」「地元を盛り上げたい」「結婚してからは、地元で親の近くで住みたい」と言う子も多くいる。そんな温かい言葉を聞くたび、「ああ自分は彼らとは違うなあ」と感じる。わたしは、故郷を愛せなかったから、あの町でいると窒息しそうだったから、逃げてきたような、生まれ育った町を捨てたような、人間だからだ。

 

 

 

 

わたしは、もっと『あなたとわたし』について話したい。

そして、語れるわたしを持ちたい。

だから、都会でもがくことを選ぶんだ。

 

 

 

年に2回か、多くて3回帰省する。

あの町に帰るたび、わたしは今其処から離れた街で暮らし、働き、もがいている自分の存在意義を確かめているのかもしれない。

2016年は、心のままに。

あけましておめでとうございます。

2016年もよろしくお願いいたします。

 

 

普段テレビを見ない性分だからなのか、正月といえど何時間もテレビの前にかじりついていることができず、映画に逃げた年末年始だった。

といっても、映画こそ殆ど観ない。一般常識欠けてて普通に叱責受けそうなくらい、メジャーなものも観てないし、映画館に足を運ぶことなんて年に2回あるか無いかくらいだし、DVDも借りないし。落ち着きが無いからなのか、1時間半~3時間ほど画面に夢中になれる集中力が無かったりして、なんだか仲良くなれなかった。それが映画。

でも、なんかわからないけどこの年末年始は観たくなって、4本観た。どれも最高だった。

 

『セッション』

なんか色々賞も獲ってて話題になってた洋画。なんか、とにかく痛々しいほどに真剣で厳しいシーンがたくさんあったから、あったかい気持ちになりたいとき(なってるとき)は向いてないけど、自分に喝を入れたいときにはおすすめです。あと、ジャズが好きなので楽しめた。ジャズドラムしたいよー。しゃんしゃんシンバル鳴らしたい。

 

『しあわせのパン』

とにかくあったかくなる映画。最近異常に涙腺の弱い私は何度もおいおい泣いた、人に見られたら引かれるレベルで。頑張ることにつかれたとき、少し心がしおれてるとき、優しい気持ちになりたいとき、大切な人といる時間に観てほしい作品。

 

『グッド・ストライプス』

菊池亜希子さんが出てるから観た。主人公が菊池さんの実際の性格わりとそのままなんじゃないかなって感じの女性でハマり役だったし、何個かのカテゴリに女性を分けたとして、私もたぶん同類にカテゴライズされそうな主人公の話だったので、そんなに人ごとに思えず共感もしつつ楽しめた。「理想を求めすぎて結婚がなかなか出来ない女性に向けている等身大の結婚を描いた作品に」的なメッセージを監督が込めている、と何かで見た。まさしくそんな感じだし、マリッジブルーの方などはぜひ。

 

『百円の恋』

女優・安藤サクラの勢いに終始圧倒された。ほんとカッコいい。役のために、あれだけ体を張れる女優が果たして他にいるだろうか。新井さんも超ハマり役だったけど。いい俳優さん・女優さんのお芝居を見ると本当に満たされる。大学入って間もない頃にもしこの作品が公開されてて観ていたら、私は安藤サクラに憧れてもっと長く演劇を続けていた気がする。

 

 

ずっと見たかった作品ばっかりだったからかもしれないけど、観終わった後の幸福度ハンパ無かった。なんとなく、今年は人生の中で一番映画を観る年になるような気がしている。

 

 

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今年は、久々に新年を迎えるにあたってかなり心が躍った。

この感覚は5年ぶりくらい。ちなみに、前回その年は最高の1年になった。

あのときより翼は少し重くなった気がするけど、自分に期待したい。

初詣で引いたおみくじも、10回ぶりくらいにいい結果が出た。もう、今年は引かないでおこう。

 

信心深い人間というわけではないけれど、占いはわりと見てしまう。

 

去年知ってから面白いなと思って見てしまうのがこの占い。

voguegirl.jp

 

そして、もう5年来、毎日・毎週・毎年愛読している石井ゆかりさんの占い年報ver.。

2016年の星占い

 

 

不思議なことに、どちらも似たようなことを書いてあった。

 

・自分に必要なものとそうでないものをしっかり吟味・分別せよ

・我慢や不安や義務感は要らない、それに心が覆われているのなら、その状態は正常じゃない

・思いっきり、自分のためになることをせよ

 

 

胸にスーッと入ってきた。

掌の中にある幾つかを捨てられたなら、新しい風が私の中に吹き抜けるかもしれない。

その風を待っている自分自身が居る。

 

 

2016年、いいことばっかりではないと思う。

アクシデントもハプニングもいろいろあるかもしれない。

でも、たくさんの人やモノや気持ちとの出会いと変化に恵まれる年になりますように。

そして何より、たくさん感動できる年になりますように。

2015年に学び取った10のこと

先週金曜日で仕事納めとなり、田舎に帰省しています。

半年前まで繋がらなかったWi-Fiが繋がり、完全に勝者の気分です。インターネット万歳。

 

さて、2015年も今日を含めて4日で終わり。

iPhoneのメモの整理をしていると、ちょうど去年の今頃に書いた「2015年にやりたいこと」の記録が出てきました。全然出来てないことだらけで、かつ今の私が「2016年にはこれやりたいな」と思ってることとかぶってたりもして、寒気がしました。おい、2015年の私は何をやってたんだよと。

 

たしかに、2015年は個人的にあまり良い年ではなかった気がする。かなり後悔も多いし。でも、こうやって改めて突き付けられるとやはりコタえます。

でも、もしかしたら、毎年この繰り返しなのかもしれない。「来年こそは」「次こそは」「これが終わったら」そんな枕詞を付けることで、現状と向き合うことから逃げているのかも。そんなことを考えていたら、心がまずまず曇ってきました(笑)

 

なので、あまり肯定できない2015年を思い返しながら、この1年で私は何を知ったんだろう、何に気付いたんだろうと振り返ってみようと思います。

 

 

1、好きを深めることって楽しい。

2015年は、「好き」に素直になれた年だと思う。自分が興味を持ったもの、惹かれたものにハマっていくことの楽しさを知れた。

 

たとえば、

 

■工場夜景

四日市の工業地帯まで観に行った。

無骨な彼らが艶めかしく輝く姿が本当に美しかった。(←ちょっと変態っぽいけど)

あとは、工場じゃなくても、普通の夜景やイルミネーションも好きになった。

昔は、夜も夜景も好きじゃなかったのに。

人生経験を重ねる中で、自分の価値観が変わるのがおもしろい。

 

■珈琲

珈琲屋さんが実施されているペーパードリップ講座で、豆を挽きドリップをして自分の一杯を淹れる楽しさと奥深さを知った。まだ上手く淹れられないけど。

珈琲屋さんで買ってきた豆を瓶に開けたとき、ふわっと広がるあの豆の香りを嗅ぐと、とてつもなく癒される。

 

クラフトビール

夏から自分でも驚くほどハマってしまったこいつ。

aoitorisorae.hateblo.jp

季節が巡り冬になってもその興味は衰えない。クラフトビールを飲みながら、他愛ない会話をしてる時間が本当に好き。

 

 

これらは一端だ。

他に、昔から大好きだった野球の観戦に今年は多く足を運んだり、好きなアーティストのLIVEには欠かさず参加したりと、好きに対して突進することは心がけた。

好きが持つパワーはすごい。心を掻き立て、前へ前へとポジティブなパワーで進めてくれる。

 

 

2、苦手なことはとことん苦手

主に仕事を通して感じたことだけど、嫌いなことや意味を感じられないことなんかに対しての取り掛かりが遅く、そしてアウトプットのクオリティが低い。通知表でいうと、1-2個は5があって、3つくらいは4で、残りのやつもどうにか3のラインには乗せられる方だと思ってたけど、そうじゃないらしい。2以下みたいだ。意味とか目的が自分の中で腹落ちしているか、もしくは単純にその作業とかそれそのものに夢中になれるかのどちらかでないと、いいパフォーマンスができないって改めて知った。だから、今後は自分の良さや好きを伸ばす方に時間を遣いたい。

 

 

 

3、あたりまえができる人に付いていきたい

これも仕事その他で本当に感じたことだけれど、私は一緒に何かをする人やリーダーに対して「ありがとうとごめんなさいが言えること」を求めるんだって気付いた。人としての基本、当たり前のようなことだけれど、特に苦しい場面や忙しいときはなかなか難しかったりする。それに、なぜか直接は言わずソーシャル上で言ってる姿を見かけてなんか萎えたこともあった。それはきっと、その人に向けたものじゃなくて、感謝してる自分に酔ってるだけに見えたから、反面教師にしようとしっかり胸に刻ませてもらった。あたりまえが欠けている人には、どんなにその人が優秀だろうと付いていきたいと思えない。

 

 

 

4、健康はあたりまえじゃない

人生で初めて受けた乳がん検診で要精密検査と診断された。

 

幸いがんではなかったけれど、次の検査のときにはどうなっているかなんてわからないし、テレビの向こう側の出来事だと思ってた病気が、今の自分とも背中合わせだってことに気付いた。自分は大人になんてならないって思い込んでたあのときから20年近くのときが経ち、私は確実に人生の終わりの方に向かって少しずつ歩みを進めているんだって感じた。

 

 

5、インプットもアウトプットも少ない→つまらない人間に

今年はインプットもアウトプットも少なかった。ゆえに、とりあえず自分おもんない!ってとても感じた。確かに時間が無かった時期もあるけれど、毎日が切羽詰まってるわけじゃないし、いつも終電まで働いているような方に比べると平日もたくさん時間がある。詰め込んで詰め込んで、そして出して出して表現して、そんな活動を来年は息を吐くようにしたい。

 

 

6、貯金は大事

あれだけ何も考えず、お金を使いまくっていた私が、未来の自分のために貯金とお金の流れ方を意識することを始めた。月によって出費も違うので貯金額は変動するけれど、無理の無い範囲で継続して貯金することができた。結局、秋から通い始めた講座で貯金をはたいたためまた振り出しに戻った感あるけど、自分の中で明確な貯金をする目的と期限が決まったので、またこっから。でも、飲みに行くのも美味しいお店に行くのも好きだからな、、、今年はもう少しバランス良く貯金するぞ。

 

 

7、飛び込む勇気。でもそこから。

11月に、編集・ライター講座の門を叩いた。一流の講師の方が、編集・ライター周りの仕事の進め方から企画の立て方まで教えてくださり、実際に自分のアウトプットを添削までしてもらえるとても恵まれた場所だ。周りも、すでにそういったお仕事をされている方が多く、発想が斬新で勉強になる。けれど、ここに入ったから文章が上手くなるわけでも、企画を立てられるようになるわけでも、そういった仕事に就けるわけでもない。あくまで、利用出来る環境の幅が広がったくらいだろう。新しい場所へ飛び込むには勇気が要る。だから、飛び込んだだけで何かを成し遂げたと錯覚しかねない。けれど、大事なのはそこでどんな気持ちで何を掴むか。まだスタートラインに立っただけ。それは、今後どんな場面でもいえることなんだろう。

 

 

8、将来変わるのではない、今変えるのだ

7の話とも関係してくるけれど、人間は未来の自分に大きな期待を懸ける。少なくとも私はそうだ。「来週の自分」に仕事を投げたり、「来年の自分」にずっとやりたかったことをやってねと頼んだり、「10年後の自分」に大きな夢を託したり。でも、私が思ってるほど未来の自分は強くも凄くもない。だって、それは今の私の延長線上の自分だから。

「いつかこうなるといいな」と将来が変わることを望むのではなく、「今、自分は何をしよう」と自ら変えないと、なんにも変わらないまま年だけを取るんだ。

今年25歳の誕生日を迎えて、これまでより余計に自分を変えるリミットが限られてきたような気がして、とにかく焦っている。人生に、何かを始めるのに遅すぎることはなくとも、ずっと変えたいと思っていることを変えたり、長くやりたかったことを実行に移すにはもうあまり時間が残されていない気がする。

 

 

9、継続と習慣

過去に戻りたいとは思わないけれど、昔の自分の中で尊敬している部分は幾らかある。その中で共通しているものの一つが、とにかく決めたことを淡々と継続していること、そしてそれがいつぞや転化して自分の習慣となり、血肉になっていたことだ。中学生のときには、部活から帰ってきて1時間以内に宿題を終わらせ、最低30分間は小説を書いて、当時大好きだったTVタイムに移っていたし、大学最後の2年間で100人をインタビューできたのも、朝のコンビニ勤務で鍛えた固定された起床時間(当時は基本5時で遅くとも6時)が、活動できる時間をたっぷり担保してくれたからだ。なまけものだから、できるだけ何も考えず、淡々と作業に移るように、習慣化のしくみを整えよう。

 

 

10、力になりたい人はわずか

友人には恵まれてる方だと思う。けれど、その中で本当の友人って何人居るだろう。誰だろう。どんな人なんだろう。そんなことも改めて考えさせられた年だった。

極限につらいときやしんどいときに話を聞いてもらいたくなる人、多少自分がしんどくても時間を割いて支えたいと思える人、そしてお腹の底から喋れて安心できる人。そんな人って、実はほとんどいないから。人間関係のドタバタも少し経験した年だったからこそ、自分にとって大事な人がより明確に見えてきたと思う。

 

 

 

最後の方はなんだか精神論ぽくなったけど、こうやってまとめてみると学び取ったことは多かった年だなあと気付いて、ちょっとだけ心が軽くなった。何をしたかも大事だけど、何を感じたのかはもっと大事。2016年も、今年の反省を生かした上で行動して、たくさん心動く年になりますように。

お知らせ〜ブログ再統合〜

こんばんは。

 

なんやかんやの諸事情から、下記のブログに移行してちょこちょこ更新してましたが、またこちらに戻ってきました。一本化します。

 

▼最近更新してたやつ

なので、こっちを見てくださいね。

 

更新は来年以降になりそうですが、色々企画は自分の中で動いてます。

今までやりたくてやれてなかったこと、今までの自分だったら手を出さなかったこと、できるべくしてできる企画、もろもろあります。

妄想だけでも楽しいのですが、形にしていきます〜

 

お楽しみに。

ダサい。超ダサい。

私はどうも、欲張りな人が好きみたいだ。

 

 

昨日、そういえばだいぶ前に買ったけど読んでなかった、この本を読んだ。

 

半径5メートルの野望

半径5メートルの野望

 

 

はあちゅうさん。

ネット(ソーシャル)上での影響力が強い分、かなり賛否両論分かれる方だ。

私も特別彼女のことを好きというわけではないし、そもそもあまり知らないんだけど、以前から彼女の行動力とか根性とかには惹かれる部分があって、この本も買った気がする。

 

読んでみると、まあ泥臭い。

特に前半部分は、簡単に言うと「今までめっちゃ批判されてきたけど、こんなんで腐ってたまるか!見てろよ!」的な内容で、正直そんなに気持ちいいものではない。

 

だけど、読み進めていくとどんどん考えが純化されていってる気がする。

 

たくさんの批判を浴びて、

自信を失くして今もコンプレックスにまみれている。

けれど、だからこそ、そんな自分に打ち克とうと、

死ぬほどの努力を重ねて自分を変えようとしている。

 

そんな泥臭い姿が、本当にカッコ良かった。

 

 

わたしが、4年半前に出会い、好んでやまない本がある。

Tokyo Dream

Tokyo Dream

 

 

とある大切な友達に教えてもらった本。

大好きすぎて、もう10回以上は読んだ本。

もしかしたら、20回に達してるかも。

 

この本の著者のLilyさんも、本当に泥まみれになりながら夢を追っかけ続けて叶えた人。

 

 

2人とも、欲深くてほんとカッコいい。

もとから優秀な訳でも、生まれつきの美貌に胡座をかいて生きている訳じゃない。

外見も、内面も、死ぬほどの努力で磨いて来た人。

大嫌いな自分、ちっぽけな自分に、向き合い続け勝負を挑んでいる人。

どれだけ転ぼうとも、夢を追いかけてるし、終着点を作らない人。

心底カッコいいよ。

 

 

 

 

こーゆー本、読み終えてみるとほんと思うね。

今の自分ダッサい!!!!!!!!って。

 

嫌いだー。。。

向き合ってはいるけど、乗り越えられてない。

 

 

コンプレックスは死ぬほどあるけど、

それを「コンプレックス」と叫ぶに値しないくらい何もしていない。

 

 

ああ、ダサい。

変わりたい。

 

 

もがいたって、手に入らないものはきっとたくさんあるよ。

心にぽっかり穴が開くかもしれない。

 

たとえ夢を叶えられたって、そこから見える景色が美しいとは限らないよ。

「あれ?私が欲しかったのってこんなものだっけ?」と思うかもしれない。

 

 

でも、その道程で努力した自分だけは絶対裏切らないと思うんだ。

「こんなことなら頑張らなきゃよかった」って、これまでの人生で思ったことなんて一度も無い。

 

「くっそー!ダメだったか。悔しい。でも、自分よくやったよ」って称えられるし、その山を登る前より少しだけ自分のことを好きになれるはず。

 

 

だからね、ダサいのいやだからがんばろ!って自分を鼓舞。

 

 

こんなことを、嘆く夜もあってもいい。

 

やっぱり、文章を綴ることで、自分の芯が少しずつ作られていく気がする。

それはひとひらの宝石

季節の移ろいが美しく、朝晩の寒さも、昼間の陽だまりも心地いい。

 

大学生の頃から、わりと年がら年中もやもやしているけれど、最近は特に人生の迷子と化していて、自分の人生について色々考えを巡らせていた。

何が好きで、何が嫌いなのか。どう生きたいのか。なんて。

 ぐるぐると考えを巡らせている中で、いろんな考えが浮かび消えていった。その中で選びかけたそれらしい答えを再び自分の前に掲げ、「本当にこれが欲しいの?」って問いかけたら、威勢の良い返事は返ってこなかった。

 

人と話し、自分との対話を重ねる中で、今朝パッと、閃いたように一つの結論が出た。

いや、結論と呼ぶには大層すぎる。たった一つの小さな一歩を踏み出そうとしてるだけだから。

住む場所や働く場所が変わるわけでもない。毎日のペースが劇的に変化するわけでもない。

それこそ最近友達から報告を受けることが多くなってきた、結婚なんかとは比べ物にならないくらい小さなこと。

 

けれど、チャレンジすることを決めるってことは、自分が生まれ変わる瞬間のような気もする。

それに、大事な人に出会えたことも、感動で胸がいっぱいになれたのも、すべてすべて、はじまりを辿っていくと小さな小さな行動からだったりする。

 

 

 

何かを選ぶということは、何かを捨てること。

そして、何かを決めるということは、決意をすること。

具体的に、動いていこうと決めました。

 

 

その一環で、たぶん今よりはもう少し、ブログもマメに書きます。

伝えたいことや書きたいことは、吐き出し始めると尽きないから。

 

きっと更新はマイペースだけど、これを読んでくれてる貴方はそこそこ応援するか興味を持ってくれてる方だと思うので、ぜひ温かく見守っていただければ。