【About you】♯013-2 真崎睦美
▼▼プロフィール▼▼
名前:真崎睦美(むっちゃん)
生年月日:1989年9月11日 26歳
職業:フリーライター
▼▽▼▽▼▽▼▽
私には、たくさん自慢の友達がいる。
その中のひとりに間違いなくランクインするのが、この人だ。
むっちゃん。
4年前にもインタビューをさせてもらった。あれは、まだむっちゃんが大学生のときだった。
▼当時のインタビュー記事
あれから、社会に出て、いろいろあって、自分の道を歩き始めたむっちゃんに、久しぶりに話を聞いてみた。
(※むっちゃんは今東京に住んでいる。物理的距離があるため今回はSkypeで実施した。)
むっちゃんは、今年4月からフリーのライターとして活動している。
今は、「スマ活」という媒体で企画とライターをしつつ、
その他7つの媒体で執筆をしているようだ。
そして、その傍ら個人ブログ「真崎ですよ」の更新も怠らない。
このブログは、とにかく面白く、考えさせられる。
大学時代から、文章には定評があったむっちゃん。
140字という制限の中であろうが、フリースタイル長編であろうが、天才かと思うほど面白い文章を書いていたむっちゃん。
でも、むっちゃんは元々ライター志望だったわけではない。
教育に熱を燃やし、教育業界に身を捧げる!というような女性だった。
それゆえ、就職にはもちろん教育業界を選んだ。
「大学4年のときに塾から内定をもらっていたけれど、その後教育NPO「Teach For Japan」の活動をする中で改めてどういう道に進むか考え直したくなって内定辞退をした。その後7月に、とある社長にお声がけをいただいて教育系のベンチャーで社長と2人でやっていくことを決めまして。『むっちゃんは普通の会社に行くとつぶされる。一緒に教育の世界でやっていこう』と言われたから。でも、まあいろいろあって(笑)、さあ働くぞと翌年5月に横浜に行って1週間でクビになったよ。クビになって1週間くらいは人生で一番荒れていた時期かもしれない(笑)。」
まだ世間の新卒は研修イェーイ!などと騒いでる一方で、むっちゃんは上京1週間で初めての「クビ」を経験する。
だが、少し休んだ後すぐに心を立て直して就職活動を再開し、7月末に2社目に入社する。
「入社したのは不登校支援を行っている企業。教育の中でも自分は、あまり心が強くなかったり、今すごくつらい状況にあって苦しんでる子をなんとかしたいな、って部分に関心があった。じゃあどんな仕事があるんだろう?って考えてたときに、『不登校』というキーワードが突然降りてきて、ここに就職した。短期間で不登校の子を復学へ導いて、復学後もその子が学校生活に適応していけるように支援することを目的としている団体で、まずはカウンセラーになって、親御さんや子どもと面談することが仕事だった。」
しかし、むっちゃんは入社して違和感を感じ始める。
「企業と私の価値観がそもそも違うのよね。そもそも私は、『適応させる』ことに対して価値を感じてなかった人間やと思ってて。『学校に行かせて適応させることが正解』というスタンスに違和感があった。」
と思いつつも、「自分と価値観が違うからこそ向き合ってみて気付くこともあるかな」と思いながら、研修や勉強にめちゃくちゃ意欲的に取り組んでたむっちゃんに事件が起きる。
「入社から1か月後に私の面談デビュー戦があったんやけど、そこでやらかしたよね。最初の面談で話すことはマニュアルで一言一句決められてるんやけど、私はそのマニュアルを一切守らずにやったんですよ。それは、反抗ではなくて、自然な会話をする方がいいやろって思ってたし、相手からいろんな話を聞くことも大事だって感じてたから。まあ今考えると未経験のくせにそれはアカンかったなと。で、会社的にはそれがアウトだったから、もう凄まじく怒られた。それ以後社内では『真崎さんがいかにダメか』ということを日々突きつけられていました。」
それからも、どうにか踏ん張り挽回しようと奮闘していたむっちゃんに、とあるきっかけが訪れる。
「エゴグラムっていう性格診断を受けたんですよ。入社して間もない頃にも受けて、そのときはすごくいい結果になったんやけど、やらかしてから毎日散々『思いやりがない』とか『傲慢だ』とか言われてたら自信なんてすり減って、すんごい結果になったんですよ。『思いやりがある』って項目がガーンって下がって、『周りの目を気にする』って項目がガーンと上がったり。それを見た上司がアチャーって感じで、『もっとこの項目を上げて、こっちは少し下げていって、、、、、、、』とかって言われたのを聞いて、ああもう無理だって。『この人たちが求めている理想の私』に、私は変わりたくないて思ったから。だから、『変わろうって思えないんです』って言って、辞めた。2社目に勤めたのは2ヶ月間だったなあ。」
社会人になって半年で2社を退職し、ここまででもなかなか波瀾万丈のむっちゃん。
3社目は、ずっと読んでいたとあるブログを書いていた方が社長を勤める塾に就職が決まる。
「塾なのでもちろん講師をメインでしつつ、生徒の管理や不登校コースに通っている子たちのマネジメントや不登校の子を集めたイベントを開催したりと、何でもやっていた。波はありつつも一回落ち込んだときに社長からもらった言葉がうれしくて、また加速して結果を出したりと、悩みながらもどうにかやっていた。」
「でも、学習指導と生徒管理とご家庭への連絡と事務作業とイベント運営と学校営業と文章書くのとって、日々やるべき業務の種類がいっぱいあって、マルチタスクがすごく苦手で無理矢理やろうとしてパンパンになって、『ああ自分はダメなんだ』って思いながら働いてたなあ。」
精神的にもいっぱいいっぱいになりながら、ギリギリのところでどうにかこうにか仕事を続けていたむっちゃん。
転機が訪れたのは今年の3月だった。
「『ハイスクールミュージカル』に『 we're all in this together』って歌あるやん。みんなで踊ってるやつ。あれが私昔から大好きで、踊りたい!ってずっと思ってたんよ。で、シェアハウスに一緒に住んでるメンバーの中にダンサーがいるから、ある日その子に『これ踊りたいから教えてー』ってお願いしたらすぐに覚えて教えてくれて、夜に何時間か踊ってたんよ。それがめっちゃ楽しかったわけよ。で、見てる人も『むっちゃん踊ってるとき楽しそうやから、見てるこっちまで楽しくなるわー』って言ってくれて。」
「そこでね、悟りが入るよね。ダンスって、自分の中で説明が要らんのよね。好き・楽しいでおっけー!だし、周りもその姿を見てくれて楽しさが伝わる。これをやってるときは無条件に好き!楽しい!ってゆー気持ちが自分の中にあることを改めて思い出したんよね。」
「でも、教育を語るときっていっつも自分の中で理由が必要だったんよ。頭で作った理由をしゃべってるって自覚があって。もともと感覚派な人間やから、頭で考えた理由で動くっていうのは、何か私の中でバグが起きてることじゃないのかなって思った。たぶん自分自身が求めてることをするというより、周りが求めてる自分になろうとしてたんだな、って。この自分やったら評価されるかな、『やっぱり教育に熱い奴やな』って思われるかな、とか。」
悟ったむっちゃんは、思った。
「お金と見栄で、自分が求めてないことをやるよりも、感覚が楽しい!って言うことを続けた方が絶対楽しい。食べていく方法もわからんけど、日本やから死なへんし、バイトでなんとかなるやろうから、辞めて好きなことをしよう」
ちょうどこのとき、むっちゃんとFacebookメッセージをやりとりする用があったときに、こんなことを言われてびっくりした覚えがある(笑)
「自分が感覚で楽しいって思うことってなんだろう?」
自問自答したむっちゃんの中に一番強く残ったのは「書くこと」だった。
「書くことだけはずっと好きだった。基本言葉で何かを表現することが好きなんだと思う。自分がふと考えた言い回しが『おもしろい』って言われたり『なんか読みたくなる』って言われたり。私は結局人ありきやから、『こんなぽいっ!て書いたので喜んでくれるんやったらいくらでも書きます』的な部分はあるよね。あとは、口ベタやから、書いてるときの方が自分の言葉でしゃべれるんよね。より自分のリアルな言葉で。」
もっと書きたい!という思いが募っているむっちゃんに、出会いが訪れる。
「たまたまイベントで女子大生ライターに出会って、『書くことを仕事にできるんだ!』という衝撃が走ったよね。だったら自分もなろうと、ライターになりました。」
ただ、いきなりライターだけで生活費を稼ぐことは難しい。
そのため、この前までむっちゃんは「朝キャバ」の世界で働いていた。
これに関しては、むっちゃんのブログで事細かに語られているので、ぜひ読んでほしい。
ちなみに、こういった場所でのお仕事の影響なのか、
あるいは好きなことを思いっきりやっているからなのかわからないけど、
最近むっちゃんが「綺麗になった」「色気が出た」と各所からものすごい反響があるようです。(Facebookコメント調べ)
確かに私も思うわー。
※「ここに色気のある写真を貼るために色気のある写真をくれ」ともっちから連絡があったのですが、そんな写真は1枚もないので勝手に割愛します。(真崎)
話は戻って、ライターとして走り出したむっちゃん。
どんなことを伝えたいって思っているんだろうか。
「軸は2つあって、1つ目は、自分が勧めたいと思った人とかサービスとかを自分の言葉で紹介したい。そしたら、紹介した自分もハッピーだし、紹介された側もきっとうれしく思ってくれるでしょ。それがなにより嬉しくて。自分が『いいなあ』と思う人の力になりたいから。」
「そして、あともう1個は、『死ぬな』っていうメッセージを伝えたいかな。自分の職歴とかを隠さずに媒体であれこれ書くのも、『最終的にはなんとかなるからちょっと死なんといて』って言いたいからかも。自分も2年前は『3年以上働かないと使い物にならへん』って言葉に怖がってたし。そういうメンタル状況ってちょっと怖いねん。『これじゃないとあかん』っていうような。そう思って悩んでる人のもとに、ちらっとでも自分の『なんとかなってきましたよ』って言葉が触れることで、ほんのちょっとでもその人の安心に繋がったら万々歳かなって思ってる。」
確かに、2年前のむっちゃんはビクビクしてたのを私も知っている。
ちょうど、私自身も2年前会社に行けなくなったとき、SOSを求めたうちの1人がむっちゃんだった。
するとたまたまむっちゃんもそのとき、2社目を辞めた後で、お互い「生きづらいなあ。。社会不適合なのかな。。」なんて言ってたよね。
じゃあ、むっちゃんはそのとき、あるいは3社目ですごく悩んでいた時期をどうやって「なんとか乗り切れた」のだろう。
「まずは周りの人のおかげやろなあ。あとは、一回り広い視野や価値観を入れたこと。坂爪圭吾さんのブログをずっと読んでたんだけど、彼は会社員でないどころか家もお金もなくて、でもなんとか生きていけるんだっていうことを全力で証明してた。ちょうど自分が『正社員じゃないと生きていけないんじゃ』って思ってた頃に読んだから自分の視野が広がったよね。だから、ネットでもリアルでもいいから、そういう新しい価値観を取り入れたり、出会いを作ったりするのは大事だと思う。」
軸を持ち、真っすぐ書き続け、順調に見えるむっちゃん。
けれど、最近ツイートなんかから「このままじゃいけない」っていうような焦りがよく伝わってきていた。
どうしてか、聞いてみた。
「8月から企業で内勤ライターとしてアルバイトをしてるんだけど、結局今って、記事のクオリティじゃなくて時給でお金をもらってるわけで。それって誰でも同じ価値ってことやん。それは嫌やなと思ってて。『真崎さんに書いてほしい』って頼まれる仕事がしたいから、今のまま時給ライターで甘んじてたら自分の目指すところにはいけないだろうなって感じて、このままじゃいけないって思ってる。今の会社でご指導いただいているハイスペックパイセンにも『お前はフリーランスで自分ひとりの力でやっていこうとしてるんだから、週5で会社来てたらアカンだろう』って言われたし。私はもともとそんなに頑張り屋さんじゃないから、何か抜け出すためのアクションを意識的にしないといけない。」
目指す場所があるから、今に満足しないのだ。
そんな彼女は、以前「嫉妬するぐらい好きな書き手さん」として3名の名前を挙げていた。
・トイアンナさん
・塩谷舞さん
・依里楓さん
「嫉妬を感じるのは、影響力が強い人。あと、女性。恥ずかしくて言いづらいけど、おこがましくもライバルって思ってるから。自分が目指してる場所ですでに走ってる人の姿を見るのは刺激を受けるし悔しい。本でもWebでもいいから、より多くの人に読まれたい。」
ただ自分の好きなことを書いていければいい
じゃなくて
影響力を持って多くの人に届けたい
って気持ちを強く持っているところに、むっちゃんのプロ意識をとても強く感じた。
最後に、むっちゃん自身について質問をしてみた。
自分の好きなところって、どこですか?
「ちゃんと自分の中にある価値観で動いたり、言葉を選んでいるところ。好き嫌いや、やりたいこととやりたくないことが段々はっきりしてきて、自分が求めるものを選択しようと思えるようになった。3社勤めて、自分は何が嫌なのかがわかったから、その嫌なものをわざわざ選択しにいかなくなった。」
そんなむっちゃんだからこそ、思うことがある。
「『○○じゃなかったら成功じゃない』とか『△△であるべきだ』って聞こえ方をするものを疑う。そういうコミュニティの中でしゃべってる人を見ると、自分の言葉でしゃべってない感じがしてすっごく違和感がある。」
むっちゃん独特のこの視点から書いたこの記事は、現在むっちゃんのブログでダントツ1位のアクセス数を誇る人気記事である。
今回インタビューをしてて、
あるいは、以前電話で話す機会があってすごく思ったけど、
本当にむっちゃんはいい意味で〝自由〟というか〝あるがまま〟になっていっている。
もともとむっちゃんは、すっごく気を遣う性格。
だから、しんどいところを見せずに明るく振る舞ったり場を盛り上げたりすることがすごく多かったはず。
今も変わらずそういった部分もあるのかもしれないけれど、少なくとも1対1で対話しているときのむっちゃんは、ほんとに余計な言葉を挟まない。「余計な」って言うのは「本音に反した部分」って意味でね。
なんか、すごくうらやましくなった。
この、素直さ。心のままに生きてる感じ。
でもこれって、憧れつつも色んなしがらみがあってなかなか真似出来なかったりする。
自分をコーティングしている鎧をはがすにはどうしたらいいんだろう?
「色々違和感とか、しんどさを感じるってことは、自分の心が『これじゃない』って訴えてるってことだから、変わるチャンスだと思う。で、そんなときは限界までモヤモヤしたらいいと思う。もう無理や、続けられへん、ってとこまで。そこまでモヤモヤしたときに、たぶん自分の心に素直になれるんじゃないかな。結局人って、モヤモヤしてるけど同じ場所に居るってことは、今変わることよりも変わらないことを優先してるってことやと思うから。」
大学4年間ももちろん濃かったと思うけど、
社会人になってからの3年間は、かなりの激動だっただろうむっちゃん。
その中で悩んでもがいて何度か壊れかけて、でも諦めずに本音を突き詰めたから、今のむっちゃんがあるんだろう。
「人生で実現したいことある?野望とか」って聞いたら、気張らない、ゆったりとした声で、こんな答えが返ってきたよ。
「とりあえず、自分の言葉を話して、自分が求めることをすることやと思う。今はそれ以外に何も思いつかへん」
京都の素敵な個別指導塾兼レンタルスペース『Study Room』に行ってきました
大学時代に出会った先輩である翔一さんとしょーじさんが運営されている京都の個別指導塾兼レンタルスペース『Study Room』に行ってきました。
▼HP
▼Facebookページ
https://www.facebook.com/studyroom.asia
各線三条駅からトコトコ歩いて北上すること10分弱。
何やら面白そうな予感を漂わせているアパートの2FにStudy Roomはありました。
コンコンとノックして扉を開くと、そこは木の温もりが溢れる、優しさと開放感に包まれた空間でした。
今日も塾の集中講義の日だったので、生徒さんが熱心に勉強されてました。
以前、春頃に翔一さんからお話を聞いたときには、「今ちょうど施工中で、、、」と聞いていたStudy Room。
HPやFacebookページで完成した内装を見てはいたのですが、めちゃめちゃお洒落な空間になっていて、驚きました。
浪人生の頃スターバックスで受験勉強をしていて〝サードプレイス〟と自分のペースで勉強ができる空間の必要性を身を持って感じられた翔一さんが夢見て、想いを込めて作られた空間。
「大人のための自習室」として開放してほしいくらい、勉強したくなりました(笑)
私は高校生の頃、家が貧乏すぎて塾に行けませんでした。
「塾がなんぼのもんじゃい!」と思って負けず嫌いの一心で自習に励み、どうにかクラスの上位の成績を保とうと奮闘していたけれど、本音では塾で切磋琢磨しているクラスメイトがうらやましかった。
でも、今になって思うんです。私が必要としていたのは集団指導塾ではなくて、このStudy Roomのような、それぞれの目標に向かって進む仲間(関わる頻度が多くても少なくても、同じ空間で勉強しているだけで仲間意識は生まれると思う)と、いつどんなときにでも気張らずに足を運び勉強ができる空間だと。
そして、Study Roomは塾としてだけではなく、コミュニティスペースとしての色も持ち合わせています。
本を愛し、居心地の良い空間づくりが得意なしょーじさんがそれをプロデュース。
イベントなどに場所を貸し出したり、さまざまな人が本を持ち寄って貸し借りができるまちライブラリーというしくみを作ったり(私も2冊寄贈させてもらいました)、今後もさまざまな構想を持っていて、お話を聞いててだいぶワクワクしました!
きっと、Study Roomは今後、色んな年代の、それぞれのバックグラウンドを持つ方たちが交わっていける場になるんだと思います。
教室の壁一面を占めている、黒板にはこう書かれていました。
Sow an environment, reap a thought.
Sow a thought, reap an action.
Sow an action, reap a habit.
Sow a habit, reap a character
Sow a character, reap a destiny.
環境が変われば心が変わる
心が変われば行動が変わる
行動が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる
普通の塾とはひと味もふた味も違う、未来への種蒔きができるような場所。
Study Roomからは、これからたくさんの花が咲き誇っていく気がします。
翔一さん、しょーじさん、ありがとうございました!
またぜひ寄らせていただきます^^
最近胸に響いた言葉
大学の先輩が、この前Facebookに自分が撮った写真をアップされていた。
美しいモデルさんを被写体にしての撮影だったからということもあったと思うけど、その写真がとても素敵だった。
その先輩は、超絶頭が良くて仕事ができて、ハイスペックの鏡みたいな人。
だけどカメラとかは一切関係ない企業にお勤めで、カメラはあくまで趣味。
しかも写真をちゃんと撮ったのも久々だとか。
それでもその写真に惹き込まれたから、聞いてみた。
「◯◯さん、写真って独学ですか?」
それに対しての先輩の答えはこうだった。
「最初に絞りとか教えて貰っただけで、あとは全部独学だよ!ひたすら枚数撮って、カッコイイ構図とかポーズとか真似して覚えた感じやね!」
この言葉、めちゃくちゃ響いた。
お手本とか憧れとかを見つけて、
真似して、
あとはひたすら数を重ねて試行錯誤する。
それが、上達の近道。
当たり前のセオリーのようなことなんだけど、なんか最近自分が意識出来てなかったことだったから、すんごく胸に刺さった。
うん、がんばろう。
楽しみなインタビューの予定があります
もしかしたら、とても尊敬する友達のインタビューがまたできるかも。
となっており、しかも向こうから言ってくれたのが嬉しくて、少々武者震いしている。大袈裟でなく。
でも一方で、少し怖さも感じている。なんか、ガラス製のお皿を持つときのような怖さ。
彼女(その友達)は、あえてこの言葉を使わせていただくと、「素材」として完璧。
おもろくて、体張ってて、人のお腹をよじらせ人の心を動かす文章が書ける人。
エピソードにも事欠かないし、それらは彼女のブログの中でふんだんに赤裸々に語られている。
そんな状況下で、私がインタビューをする意味って?
、、、、、なんか、ある??
そう思ってしまうのも事実。
取材して、編集して、まとめる。
ただそれだけのようで、それって実はすごく〝料理〟させてもらうことになると思う。
もちろん確認のフェーズは挟むから、「違うよ!」とか「ここ気にいらんよ!」って部分は最終手直ししてもらえるのかもしれないけど、それでもやっぱりインタビュアーの取材力はすごく問われる。
・何を聞くのか
・どう聞くのか
・どこまで聞くのか
・どこまで書き起こすのか
・どうやってまとめるのか
全部、全部、問われるなって。
それしだいで、素材を殺すことだってできてしまう。。
そんなことを考えているときに、思い出した。
大学3年の後半から卒業迄、1年半の間、怒涛のようにインタビューをしていたときのことを。
あのときは、1日3人にインタビューをして、毎日のように記事を編集してアップして、その作業を夢中で繰り返していた。
そのときに、「インタビューって何?難しくない?」とかって聞かれたら、わたしはこんな回答を持っていた。
インタビューは、私にとって左にあるものを右に移すような作業。だから、引き出そうとか見せ方を工夫しようってあんまり思わなくて、しゃべってもらった空気感をできるだけそのまま保存して、届けることなんよなー。
こんなこと思ってた。
人にも話してたと思う。
それを、思い出した。
最近、仕事で記事を書く機会や取材を担当させていただく機会も増えた。
Webライティングについて目に留まった記事とかがあれば、闇雲に読んだりもしてる。
そーゆーのを重ねていく中で、何回も天井に頭をぶつけながら、きっと成長してる部分もある(そう信じたい)一方で、大事な初心を忘れてた。
届けるときに大事にしたい気持ち。
ガラスを扱うように繊細に言葉を大事にする作業。
言葉の奥に潜む思いに耳を澄ます時間。
もちろん、仕事と趣味は違う。
わたしも仕事では媒体の特性上、いかに綺麗に文章を削りコンパクトな文章でコアメッセージを伝えるのか、という部分に神経を注ぐことを求められる。まだまだ、超苦手。超荒削り。だけど。
求められることは、場所によって違う。
自分の役割によって変わる。
けれど、せめて利害とか金銭とかそーゆーのを超えて、相手と自分しかフィールドに立っていない今回のような場くらいは、初心を噛み締めながら取材をさせていただこうと思います。
あー、楽しみだー。
【About you】♯102 平野太一
■Basic data
名前:平野太一(ひらのたいち)
Blog:http://yriica.com/
■Questions
―今のお仕事について教えてください。
Wantedly というビジネスSNSをつくっている会社で働いています。
その中で僕は、主にブランディングとコンテンツ制作の領域の業務を担当しています。Wantedlyというブランドの見せ方を考えたり、Wantedlyを利用して採用を実施された企業に取材に行ったり、Wantedlyを利用している企業向けに「こうしたら活用できますよ!」って伝えられるような資料を作ったり、コンテンツという名の元、あらゆる仕事をおこなっています。チームも2名しかいないので、日々大忙しです。
―お客様事例取材もよくおこなわれているような印象がありますが、どれくらいのペースで実施されるんですか?
波がありますが、多いときには週3本程度ですね。
【平野さんの取材事例と執筆記事の一部】
・社員数25名の会社が300名もの応募を集めた?株式会社リヴァ採用担当者の松浦さんに、募集の作成から活用秘話まで伺いました!
https://hr.wantedly.com/wantedly/liva_01/
・Wantedly Adminで社長経験者を採用!フォートラベル株式会社が行った「いきなり社長面談」スタイルの効果とは。
https://hr.wantedly.com/wantedly/4travel/
・世界を舞台に、ソニーが本気で取組む新規事業。市場を切り開き、ビジネススキーム構築を担うビジネスクリエーターをウォンテッド
https://www.wantedly.com/projects/26800
取材、文字起こし、撮影、編集・アップ作業まですべて自分でやってます。
―インタビューしながら撮影もされるのって、とても難しいと思うのですが、気を付けていることなんかはあるんですか?
まず、基本的には「聞く」ことを大切にしているので、相手が僕に向けて話してくださっている際に、聞きながら写真を撮るようなことはしません。
ただ一応カメラは常に手に持っていて、笑顔の瞬間や社内の方同士でお話しされているとき、あとは考えごとをされているときを抑えたりと、シャッターチャンスは逃さないようにしています。
―Wantedlyが他の求人サイトと違う点はどんなところですか?
「人の顔が見えるところ」が他の媒体と大きく違いますね。ちょうどこの前もお客さまと「Wantedlyってどこがいいんですかね?」と話してたときに、「『募集要項の先に働いてる人の姿が見える』ところがいいよね」って話が出てきたんです。
もちろん、他の媒体でも先輩の声やインタビューは載ってるんですが、Wantedlyの場合はその社員さんのソーシャルアカウントまで見える ので、「あっ、本当にこの方はいらっしゃるんだ、お仕事されてるんだな」というのをよりリアルに実感できるのは大きいですね。そこまで見えると「この会社や社員さんは自分に合いそうかどうか」というところもより肌感覚でわかるような気がしているんです。
―もともとWantedlyには、いつからどんなきっかけで入られたんですか?
働き始めたのは2013年の10月~です。もともと日本仕事百貨 にとても憧れていて、そのインターンに合格したことをきっかけに、単位を取り終わった大学4年の半ばから東京にやってきました。インターンは無給だったので、「仕事百貨と近い業態で、働ける企業はないだろうか」と探していたときにWantedlyを見つけ、まずオフィスに遊びに行かせていただいた後に社員さんとランチを食べたその帰り道に、採用していただくことが決まりました。
それからもう2年。僕はひとつのことを続けられないタイプなので、ここまで働けてることにびっくりしてます(笑)きっと、手掛ける仕事が幅広いから、飽きずに続けられてるんだと思います。
―日本仕事百貨やWantedlyはどちらもひと味違った採用サイトを運営されている企業ですが、こういった企業に興味を持ったのはどうしてなんですか?
大学3回生の時点で、社会のこと、業界のこと、ほぼ何も知らなかったので、このまま就活するのは怖いな、と思ったことがきっかけですね。
僕も大学3.4年の時期は就活をしてたのですが、「外の世界を何も知らないのにIT業界に絞って大丈夫なのか」と迷ったり、絞り出した志望動機を話したりしているうちに、「うーん、このまま世間の流れに乗って就活するのが本当にいいのかな」と悩むようになりました。そんな僕でも日本仕事百貨のように、丁寧にいろんなお仕事の情報を取材して発信している媒体だったら、自分に合う企業を見つけられるんじゃないか、と思ったのがきっかけで、そういったプラットフォームを作ってる企業自身に興味が湧きました。
―最近は写真を撮ること単体もお仕事でよくやってらっしゃいますよね。あれはどんなきっかけからなんですか?
趣味で撮ってFacebookやブログで発信していたら、いつのまにか声を掛けてもらうようになりました。最近ではWantedlyの社長である仲さんのプロフィール写真を撮らせていただいたり、careerhackに掲載された株式会社メタップス様の記事でも撮影を担当させていただきました。
▼43億円調達のメタップスが広報に選んだ女性 - 鈴木聡子氏に聞いたスタートアップで生きる極意
http://careerhack.en-japan.com/report/detail/541
僕は普段の業務でコーディングやデザインをする機会もあるんですが、エンジニアリングやデザインは周りにトップレベルの人がいるのでその領域で勝つことは無理だと思ってるんです。「じゃあどこで勝つんだ?」と考えたとき、自分が好きで続けてこられてかつ周りにそんなにやってる人がいないことが、文章やカメラだったんです。「そのために今までブログをやってきた、写真をアップしてきた」というわけではないんですが、気がつけば繋がっていましたし、「発信してきて、続けてきて、よかったな」と思うことがたくさんあります。
―ブログやカメラはいつから始めたんですか?
ブログは大学3回生のときですね。
ちょうどゼミが始まった時期だったんですけど、周りのメンバーが優秀すぎて、「自分がここにいる意味って何なんだろう…?」って考えてしまったんです。そのときに、「何か自分で『やったぞ』って言えることをつくっていこう」と思って、毎日書き続けることを目標に始めました。時事に対して自分が思うこと、使ってみて気に入ったサービスの紹介などを主に書いています。
平野さんのブログ「Eureka」⇒ http://yriica.com/
根っこにあるのは、「自分の好きなものをもっと広めたい(知ってほしい)!」「これを使うともっと便利なのに!」ということを発信したいという気持ちですね。
前までは「自分が書きたいものを書く」っていうスタンスだったんですが、今は「自分が読みたいものを書く」という意識に変わりました。なので、書くときには必ず、読んでくれる人の目線を意識して書いてますね。
カメラは大学4年のときに始めました。はじめはRICOHのGRというデジカメを買って、パシャパシャ撮ってはFacebookに毎日アップしてました。今年の4月にCanonの一眼レフを買ってからは、ブログにもマメに写真を上げるようになりました。
せっかく撮ったんだから誰かに見てもらわないと意味はないですし、発信することに意味があるって思ってます。
―それらを見ていると風景写真が多いんですが、人物写真より風景写真の方がお好きなんですか?
そうですね。人物撮影だと、いろいろ考えちゃうじゃないですか。「暗めに映してしまったら暗いイメージになっちゃうから光を気をつけないと」「でも顔がオレンジがかってもよくないなあ」とか。撮った写真を相手に見せたときに、がっかりされるのが嫌なので、そういう心配がない風景ばっかり撮ってました(笑)
今後は人物撮影の機会も増えそうなので、がんばらないといけないですね。
―風景写真は、日常のワンシーンを切り取ったものが多いですよね。
そうですね。どこか旅行に行くから撮ろう!みたいに構えちゃうのがいやなので、普段からカメラをぶら下げておいて、何かピンとくるものがあったらシャッターを切るようにしています。
写真を撮り始めてから、街を見る目が変わりましたね。「この構図、すごく良いじゃん」なんて思ったりしますし。
―これまでの人生を振り返って、大きなターニングポイントってありましたか?
やっぱり、地元の静岡から関西の大学に出てきたことですね。
「自分はずっと静岡にいるんだ!」って思ってたのに結果的に外に出ることになって、いろんな人に出会えたし、まったく違う文化圏に行ってもどうにか生きていけるんだってことを学びました(笑)
それにインターネットにハマったのも、大学生になってMacbook Airを買ったのがきっかけだったので。そこからTwitterやFacebookを始めて、ぐんと世界も広がりました。
―平野さんというとものすごくITや新しいサービスに詳しいイメージがあるんですが、情報はどこから仕入れてるんですか?
主に、TwitterとFacebookとFeedlyですね。気になったものがあれば、とにかくWunderlist というTODOアプリに保存しておいて、気になる記事だったら忘れないようにEvernoteに保存して、自分で実際に使ってみて良かったものはブログに書いています。
東京に来て、いろんな方との出会いがありましたが、ニッチなサービスを知ってることにおいては誰にも負けない気がしています(笑)
この前大好きなWunderlistについて記事を書いたら、中の人にその愛が伝わり、ベルリンの本社からプレゼントが届いた!なんてこともありました。
▼Wunderlistの愛を書き続けていたら中の人に伝わり、Tシャツとステッカーとお手紙をいただいた!
http://yriica.com/eureka/wunderlist-present
―「ITやアプリ以外に好きなものは?」と聞かれると何が浮かびますか?
ゴールデンアワーですね。多摩川とかであれを見ると泣きそうになります笑
あと、一番好きなのは辻村深月さんの小説です。
高校生のときに始めて読んでからハマり、全作品を持っています。
人物描写がすごく素敵で、とても共感できるんですよね。
そうそう、最近こんな記事も書きました。
▼僕にとって、「辻村深月の本」はビジネス本です。
http://yriica.com/eureka/business-books
―最後に、今後こんなことやっていきたいなあっていう構想があれば教えていただけますか?
うーん、、、なかなか浮かびませんね。。将来のことを考えない、行き当たりばったりな性格なので(笑)
自分が持ってるスキルが何なのか、それを言語化できない今の状況では、5年後の自分の姿なんてまったく想像が付かないですね。でも、好きじゃないものを人に勧めることはできない性格なので、自分がいいと思うモノやサービスの近くにいるような気がします。自分の思ってることとか信じてることに対しては嘘を付きたくないので、素直に生きていきたいですね。
■My note
平野さんとは、共通の友達が結構いたりすることもあってか、Twitterでは前々からフォローさせてもらっていたし、Twitterでのやりとりが高じて「Weekend Bee」という会も友達を巻き込んで一緒に開催した。ただ、こうしてお話を聞いたのは、はじめてだった。
とにかくブログや写真を丁寧に更新し続けているという印象があったのだが、お話を伺っていると、それは義務でも挑戦でもなく、もはや彼の生活の一部になっているように感じられた。空気を吸って吐くように、喉が渇くと水を飲むように、伝えたいことがあれば記事を書き、感性に訴えるものがあればシャッターを切る。そうした日々の記録をとても自然に、大事にしている人なんだ、と。
これからもたくさん、愛情の込もった〝作品〟を発信して、世界を少しずつ、良い方向に動かしていってくれるだろう。
乳がん検診体験記〜「病気かもしれない」が教えてくれたこと〜
今年も、毎年1回の健康診断の季節が巡ってきた。
いつもは基本的な検診(身長・体重、視力、採血、心電図など)だけをおこなうんだけど、周りの同年代が婦人科検診にもたくさん申し込んでいたので、「なんか怖いけど、まあせっかくの機会だし。」と申し込んでみた。
そして検診の日。
順々にメニューをこなして、最後が人生初の乳がん検診。
エコー(超音波)で見てもらってるときに、おじいさん先生がこう言った。
「ん、しこりがあるな。2つもあるな。これはあかん。」
いや、あかんとか言うたらあかんやろ先生、なんて思いながら画面を見ると、わたしの目で見ても異物だと見てとれるものが画面に映っていた。
「紹介状を書くから、○○病院で見てもらうように」
お会計のときに、紹介状費を徴収され、その後翌週に大きな病院の乳腺外来に行くように指示された。
正直、そのときはかなり怖かった。
場所が場所だから、ということもあるし、何より「がん」っていう言葉が頭をよぎって。
わたしも病気に詳しいわけじゃないけど、「がん」というとなかなか抵抗・克服が難しい病気というイメージがあったから。
ざわざわしながら毎日を過ごし、ちょうど最初の検診から1週間後、指定された乳腺外来に行った。
大きな総合病院だから、病院内はいろんな外来に来た患者さんで、平日の朝でもごった返していた。
まず受付を済ませると、「少し待ち時間が長くかかるかも」という旨を伝えられ、看護師さんから数枚綴の紙を渡された。
その紙には、この病院の診察の方針(誤診などを無くすために、初診からあらゆる診療をするという旨)と「乳がんになったら」といった内容で手術の時期や手順、要する日数などが記されていた。
渡されてから1時間弱待って、ようやくマンモグラフィーの部屋に通された。
マンモグラフィーはエコーと並ぶ乳がんの検診方法のひとつで、両胸を圧迫してX線撮影をするもの。
石灰が散見されるかどうかで、初期のがんを発見できるとのこと。
ただ、20代のときは乳腺が発達しているので、どうしても映り込みにくいそう。
※それを聞いていたから、私も初診でエコーを選んだ。
上下・左右から両胸を圧迫されるのはかなり痛いと聞いていたし、担当してくださった方も「我慢できなくなったら言ってくださいね!」と言っていたのでだいぶびびっていたが、まあ紙一重耐えられる痛みだった。
良かったことは、マンモを実施した部屋にオルゴール音楽が流れていたこと。
おそらく患者さんを少しでもリラックスさせようという配慮からだと思うけど、あれは幾分か心を楽にしてくれた。
マンモが終わってからまた数十分待たされた。
その間、待合のところで近くにいた女性2人が「今後のがん治療の方法」について看護師さんから説明を受けていた。
わたしにも細かい内容が聞こえてくるほどだったので、これは「他の患者の不安を煽らない」ためにも、「がんと診断された方のプライバシー配慮」のためにも、個室などでするべきじゃないかと強く思った。
その後、ようやく医師のいる部屋に通された。
担当してくださったのは、30歳前後のキリッとした女性医師。
まず「マンモの結果を見る限りは異変はないけれど、映り込みにくいからこれだけでは判断できない」と伝えられた後に、エコーを実施。
「たしかにしこりがあるね。水の塊のような気もするけれど。」といいながら入念に調べられ、「念のために、悪い細胞がいないかも確認しておきますね。」と言われた。そして針生検へ。
針生検とは、その名の通り胸の患部に針を刺して細胞を採取し、がん細胞が無いか調べるというもの。
正直だいぶ怖くて、「この検診を受ける前に大丈夫でしょう、と言ってほしい」と思っていたけれど、その夢叶わず。
痛み的には採血とそんなに変わらない程度だったから耐えられたけれども、なかなかしんどい時間だった。
終了してから、先生にこう言われた。
「通常、水の塊であれば針を刺したときに水が出てくるはずなんですが、血が出てきました。時折、こうした場所に初期のがんができるケースもあるので、少し心配ではあります。結果は1週間後に出るので、また来週来てくださいね」
私はこの日にすべて診断が下ると思っていたので、「また1週間待たなきゃいけないのか、、、」という落胆が一番大きかった。そして、病院を出たらどっと疲れた。たくさん待たされるだけでも、色々悪い想像が巡ったり、「この検査痛そうだなあ、不安だなあ」と思ったりしてしまってかなりストレスが溜まるから。
もちろん、仕事もバタバタしてたし、プライベートも予定が詰まっていたので、幸いにほとんど考える暇は無かったんだけど、それでも毎日頭の片隅のどこかに「もしもがんだったら、、、」という気持ちが無いワケではなかった。
そして1週間後、再度病院へ。
朝一番の検診で、かつ今回は部屋に入るとすぐに結果がわかる、ということから当日は緊張で朝から腹痛になる始末。
早めに着いて、番号が呼ばれるのを待つ。
ちょうど9時に、呼ばれた。
中に入って椅子に座ったとたん、先生が一言。
「検査結果返ってきましたが、悪い細胞はいなかったんでね。嚢胞(のうほう)だと思います。だから、とりあえずは経過観察していきましょう」
すごくホッとした。
結局、早くも1年後の再診予定を決められ、診察は終了した。
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今回、大袈裟かもしれないけれど病気の予兆が見つかったことで、久しぶりに色々考えることがあった。
◎病は気から
過去にも経験していることではあるが、「病気かもしれない」という不安は自分を弱くさせる。
それは、目の前のことに集中できなくなったり、人の話がまったく耳に入ってこなくなったり。
何かで見たけれど、「乳がん検診で再診を受けた人のうち半数以上が鬱症状になっている」という統計もあるらしい。
ここへの対処法は「とにかく早く病院に行って原因を明らかにする」ことだと思う。
たぶん人間って(もしかしたらわたしだけかもだけど)、「未知のもの」を怖がる傾向がある気がする。
しかも、その「未知のもの」は時として「怖くないもの」かもしれない。
姿が見えれば怖くないものを見ないようにして怖がって、心を摩耗させるのはよくない。
◎検診は大事
さっきの話と重なるけど、やっぱり定期的に検診を受けることって大事だなと思った。
早く異変に気付ければ、大事に至る前に治療することもできる。
わたしも基本病院なんて嫌いだし、がん検診は怖くていやだなあと思っていたけれど、「時すでに遅し」にならないためにも、しっかりと身を守るためにも、ちゃんとチェックしてもらおうと思った。
◎いつ死ぬかなんてわからない
「がん」という言葉を聞いて、「余命」って言葉が過らなかったわけではない。
・もしがんだったとして、完全治療なんてできるのだろうか?
・そのとき何が犠牲になるのだろう?自分の体?もっと言えば仕事もお金もすべてかも。
・がんの生存率って幾らくらいなんだろう?
ぐるぐる思考は回る。
ここに関して詳しく調べたわけではないので、解は持っていないけれど。
小さい頃から体が強くなく、人より疲れやすかったりすることもあって、もともとあんまり自分が長生きできるイメージは持っていない。50歳まで生きれるかなー?って思ってる。
けれど、生き急いでるわけではなかった。
今回少し生死を考えたときに、「明日」とかだと言い過ぎかもしれないけれど、5年後自分が生きているかどうかなんて全然わからないな、ってすごく思った。
事件・事故・天災などに巻き込まれて命を落とす可能性だってあるし、次の検診のときに状態が悪化してる可能性だってある。(※がんは、食事や運動に気をつけて防げるものではないから)
その他の病気にいつなるかだってわからない。
だから、ちゃんと生きないとな、と思った。
すごく抽象的だけど。だから今日から何かが劇的に変わるわけじゃないけれど。
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最初の検診があった日とその2日後は、くしくも大学時代からの仲間の誕生日を祝う機会があった。
両方とも、本人に内緒でサプライズを仕掛けてお祝いをするもの。
驚きと喜びと再会が溢れる空間に居ることができて、本当にうれしかった。
4-5年前にはじめて出会ったときから変わらず、毎年のようにこうして一緒に年を重ねられていること。
その場にみんなで居られること。
変わらない場所と変わらない存在があることの幸せを強く感じた。
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きっとこの出来事は、いろいろと思いながらも行動に移せていない、くすぶるわたしへの戒めなんだと思う。
「本当にこのままでいいの?」「もっと生き急ぎなさい」というようなメッセージであるような気もする。
「命は有限だし、いつ終わりが来るかわからない」ってことを、
頭の片隅くらいに置いて、
もっとダイブしていければ、なんて思っています。
この思いが泡になって消えてしまわないように、文章に残してみました。
【LIVEレポ】ohashi Trio TOUR 2015〜PARODY〜(2015/5/29 大阪 オリックス劇場)
ずっと楽しみにしてた大橋トリオさんのLIVEに行ってきた。
※公式HPから拝借
トリオさんのLIVEに行くのはこれで2回目。約1年ぶり。
前回は2階席だったけど今回は運良く1階の10列目と、なかなか席にも恵まれた。
それでは、セットリストツアーに添って軽くレポを。
1、Cherry Pie
初っ端は今回のアルバムの中で一番アップテンポかつクールなこの曲からスタート。
ちょいワルって感じが堪らなくて、家でアルバム掛けるときもよくリピートしちゃう曲のひとつ。
EGO WRAPPIN’のサポートでもおなじみの武嶋さんの演奏が素晴らしかったー。
2、PARODY
アルバム1曲目かつタイトルにもなっている曲。
今回のアルバムを掛けてこの曲が流れた瞬間、いい意味でこれまでっぽくなくて、「トリオさんがいろんな曲に挑戦してるアルバムなんだろうなあ」と予感させてくれたよなあ。
3、サーカス小屋
「綱渡りと君のダンス」の歌詞部分の歌い方がかっこよすぎた。(マニアック)
そして普段はギターかピアノを演奏してるトリオさんが、この曲のときはシンバル?みたいなの鳴らしてて、それもレアでよかった。
4、game over
お洒落なんだけど、お洒落すぎるゆえに、実はあまり好きじゃない曲。
だから普段アルバム聞いてるときはスキップしがちかも。
実は過去「マチルダ」もその部類だったのに、ライブで聴いたら格好良すぎて大好きな曲になったんだけど、そこまでではなさそうだなあ。
5、eito
この曲もなんだか大人っぽすぎて耳に馴染まなくて、アルバムを買った当初はあまり聞かない曲だったんだけど、聞けば聞くほど深みに連れ込まれてしまった。ライブでも最高でした。聞いてたらなぜか水を連想してしまう。
6、灰色の世界
ピアノのイントロからやばかった。
この曲から、会場の涙ぐむ人の数が一気に増えた。
「くるみ」や「君のいない冬」にも通ずるけど、どうしてこんなに切なくて美しいメロディーラインを紡げるんだろう。
7、くるみ
これもヘビロテ曲のひとつ。
ため息しかしないほど染み入った。
「灰色の世界」が終わったあとにいったんトリオさんのMCが入って、「今回のアルバムはお別れの曲が多くなってしまいました。今まさにお別れしたばかりだ、という方も多いのかもしれません。大丈夫です。今はつらくても、長い目で見れば大丈夫です。だから、悲しい曲も今日は全部演奏しますよ」と言ってからのくるみ。
情景が目に浮かんでくる歌詞も素敵。
8、君のいない冬
止まらないトリオさんの切ない曲攻撃で次はこちら。
今回のアルバム「PARODY」が発売されたのは1月末。
ゆえに、この歌たちと冬を越したんだけど、冬をテーマにした曲が多いのもあって、ほんとに2月ごろの身にはとても染みた。
昔は大嫌いだったのに、毎年少しずついいところを見つけて大好きになった冬の夜のおともに最高だったんよね。
9、アネモネが鳴いた
過去アルバム「R」から。
この歌はねー、とーってもしんどかった時期の最中、少し気を抜いて休める朝によく聞いていたから、当時の感情を思い出したりしてジーンときた。
サビのこの歌詞が大好きすぎて。
ありがとうさようなら今日と言う日よ
全てが愛しくてたまらない
この花も風も木も水も
生きているから感じ合えるのさ
通り過ぎる風がそう呟いた
生きててよかったなあ、って思わせてくれる曲。
10、美しいもの
これまた過去アルバム「R」から。
「PARODY」のアルバムの曲とのバランスを見ながら選曲していった結果、偶然「R」の曲が多くなっちゃったみたい。
この曲は、とにかく落ち着く。
アップテンポな曲、クールな曲、切ない曲と特徴的で感情をバシバシゆさぶってくる3時間の中の止まり木的な曲に感じられた。
11、ゼロ
過去アルバム「L」から。
トリオさんの曲の中で、「個人的に思い入れのある曲ベスト3」に入る曲だから、生で聞けて本当に嬉しかった。
その嬉しさが溢れ出したのと、ああいい歌だなあって再実感したのとで、気付いたら涙が出ていた。
何回聞いたかなんて数えられない。特別な想いが詰まった曲。
12、Fairy
わたしがもってない過去アルバム「NEWOLD」収録曲。
ただ、youtubeで聞いたことはあって好きな曲だったので、はじめてじっくり聞けてよかった。
「トリオさんの歌声ってなんであんなに素敵なんだ!」ってくらい歌声を堪能させてくれた。
普段の声は超低くてダンディーで、歌声は優しくて。
歌手になるべくして生まれてきた人よ。
13、モンスター
これも過去アルバム「R」に収録されてた、秦基博さんとのデュエット曲。
さすがにご本人登場とはいかなかったけど。最終公演とかにサプライズで来たりしないのかなー?
5月の爽やかな青空に似合う曲。
14、めくるめく僕らの出会い
「PARODY」の中で好きな曲上位かつ、これまたファンの菊池亜希子さん主演の映画主題歌にもなっている曲。
ラブリーで、歌詞が映画にピッタリで、聞いてるだけでハッピーになれる曲。
「めくるめく」って言葉の美しさが際立ってるよね。
15、FLY
「PARODY」の最後に収録されてる曲。
これも「アネモネが鳴いた」と同じように、生で聞くと歌詞が染み込んで心の中に入ってきて、生きてることを肯定させてくれるような曲。
サビのメロディーライン(コーラスライン)がとても美しい。
16、サリー
アンコール前ラストの曲は、おそらく「PARODY」の中で一番聞いたこの曲だった。
これもおそらく失恋の曲なんだけど、ポップなメロディーと前向きな歌詞がパッと未来に明かりを点してくれるかのよう。
最後の最後、「出会えた事全てに サヨナラ何て言わないでいよう」って歌詞が大好き。
ーーアンコール
17、僕らのこの声が君に届くかい
過去アルバム「plugged」の曲らしいんだけど、このアルバムを持ってないこともあり、恥ずかしながら初耳の曲だった。。アルバム全部揃えようと反省。途中、各パートの長めのソロが入ってめちゃめちゃ盛り上がって、事実上の締め括りの曲でした。
18、わすれない
アンコール1曲目で盛大に盛り上がった後は、トリオさんのピアノソロでトリを飾る。
切なさの塊みたいな曲。
会場に響くのは、トリオさんの歌声と奏でるピアノの音色だけ。贅沢な時間だった。
全18曲、3時間があっという間。
トリオさんの演奏や歌声はもちろん、石井さん、武嶋さん、神谷さんなど豪華アシストメンバーの方の演奏が素晴らしすぎて、みなさん本当に楽しそうに演奏されてて、「これこそ音楽!」って思った。
トリオさんの歌にたくさん、たくさん、救われた。
言葉にならない気持ちを拾ってもらったことも、この涙にきっと意味が有るんだと教えてもらったこともあった。
いつも、隣に彼の音楽が寄り添ってくれた。それは今も、そしてきっと未来も。
大橋トリオという歌手に出会えて、本当によかったです。