人生に遅すぎるなんて無いけれど、今年来年が勝負な気もする。

あと2ヶ月とちょっとで26歳になる。

 

25歳になった頃から、なんだかものすごく焦りに駆られていた。

このままじゃいけない。そんな気持ちが渦巻いていた。

だけれども25歳になっても私は私のままで、特に何も変わらぬうちに今を迎えてしまっていると思う。

 

私は、何に焦っているのだろう。

今で十分幸せなはずなのに、何を手に入れたいんだろう。

その問いが堂々巡りしていた。今も、堂々巡りしている。

 

明確にあるのは、このままでは将来後悔してしまうこと。

今しか出来ないことに挑戦できていないこと。

守りに入ってしまっていること。

この3つだ。

端的に言えば、おもんない人間になってしまっている。

 

もっと、打ち込みたい。

もっと、変化したい。

もっと、もっと、感動したい。

 

 

数年前から、私のど真ん中に、あるもの。

それは、感動して生きていたいということ。

笑って泣いて悔しがって喜んで、生きているなあって、もっと、もっと、実感したい。

 

そのための手段を、すべて言語化することはできないけれど、小さな一歩から踏み出していくこと、できればその一歩を今までとは違う方向へ踏み出すことに尽きるんだとも思う。

 

 

馬鹿だなあと言われても、

鼻で笑われてもいい。

自分に正直に、生きていきたいよ。

 

それは、ときに孤独な自分との闘い。

だけど、進んでいれば必ず光は見える。少数かもしれないけれど、支えてくれる人もいるよ、きっと。

 

 

瑞々しい心を持ちながら、生きていくぞ。

この2年、どう生きるかで、きっと未来が大きく変わる。

とうもろこしごはんと生活と

ずぼらで適当な私だけど、憧れるのはきちんと生活をしてる人。
食事・睡眠・体のメンテナンス・住空間の整備などなど、、1番自分にかかわる生活や自分の体のことはちゃんとしてたいな、と思うようになったこの頃である。

たとえば、部屋がいつも整理整頓されている。自炊をする。アイロンをあてる。体調管理をする。居心地の良い部屋づくりをする。。
それらは、大きなことではない。
制度を変えるでも、誰かを助けるでも、会社を創るでも、ない、とても小さなことだ。小さな世界のリズムだ。
けれど、小さなことを大事にできる人しか、大きなことはできないと思うんだよね。※実際には小さなことをすっ飛ばして大きなことをできちゃう人も居るんだと思うけど、その人たちはあまり私の憧れるタイプではない

あと、生活を大事にできる人は、自分のことを大事にできる人だと思う。特に一人暮らしをしてると、掃除も料理も生活も、だんだんとおざなりになってくる。けど、「まあ、これでいっか」とならない人は、誰も見てなくてもゴシゴシと浴槽を磨き、彩りの綺麗なごはんを作り、太陽の下お布団を干したりしてる。
「あんまり頑張りすぎても、疲れるよ」というのは、正論だと思う。けれども、少しずつでも、一個ずつでも、生活を大事にすることを始めていけば、自信も心のゆとりも生まれてくる気がする。

それに、自分を大事にできるからこそ、人のことを大事にできるんだとも思う。いわば、すっごく地味な、でもとっても大事な基礎のようなものなのかもしれいな。

私の中でそのロールモデルとなってるのは、モデルの高山都さん。彼女のBlogやInstagramを見ると一目瞭然だけど、本当に生活を、自分を、大事にしてる。そして、いつも素敵な笑顔。あのひまわりのような笑顔は、周りの人を一瞬で幸せにしてしまうだろうなあ。

その都さんがよく作っているとうもろこしごはんを、昨日炊いてみた。※本物のとうもろこしではなく、コーン缶を使うという手抜きだけど。でもいいんだ。とっても美味しかったから。

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それにしても、自炊ってなんだか満足感高いよね。自炊にマメじゃないけど、作ってみると自炊良いなあって毎回なる。続けないと。


インスタ女子にはなれないし、テラスでカッティングボードに置かれたごはんを食べることや、メイソンジャーに興味があるわけではないけれど、生活を大事にできる人にはなりたいなと思う。あと、とうもろこしごはんもリピート決定。

麻央さんのニュースを見て〜他人事には思えない乳がん〜

小林麻央さんが乳がんである、というニュースを知って、驚いたし、ショックだったし、家に帰ってきて改めて報道を見ていると涙が止まらなかった。

美しくて明るくて女性らしくて、性格の良さが滲み出てるような方。

特にファンというわけではないけれど、好感を抱かずにはいられないような方だった。

そんな麻央さんが、実は乳がんだったというのだ。

 

驚き・ショックと同時に湧き起こってきたのは、決して他人事に思えない気持ち。

というのも、私は昨年健康診断で乳がん検診を受けた際、再検査となり、がんであるかどうかを調べるため病院にも通ったからだ。

そのときの体験は、怖くて苦しくて特別な感情を抱くもので、溢れてくる思いを記事にした。

 

mott-izm.hatenablog.com

 

結局、このときはがん細胞は見つからず嚢胞だと判断され経過観察となり、2月の定期再診の際にも「異常は無いので一旦これで終了で。」となっている。

それで安心していたが、今週会社の定期健康診断に行った際の乳がん検診でもドキドキは止まらなかった。怖かった。

エコーで先生が同じ箇所を入念に見ているたびに、すごく怖くて、とてもじゃないけれどエコー画面が見られなかった。

その後の触診の際には「特にエコーの結果も異常を書いてないし大丈夫」と言い渡されたが、エコーを担当してくださったのが無口で無愛想な先生だったこともあって、結果が返ってくるまではなんとなく不安だ。

※去年はこの初診の時点で「異常があるから大きな病院で診てもらいなさい。紹介状を書いておきます」と言われたので何も無いと信じたいが、診察してくださった先生も違うので怖い

 

というような背景もあり、正直今の自分にとって一番身近で他人事ではない命に関わるような病気が乳がんなのだ。

 

がんではないと言われた私でさえ、初診のときからその言葉を聞くまでは頭がボーッとしてあんまり考えられなくて、「死にたくない」とだけただ思っていた。心が休まらなかった。だから、がんと診断された方やそのご家族の気持ちを察すると、とてもとても胸が痛む。

 

普段、憂鬱になったり、嫌なことがあってもう生きるのがしんどいな、と思うことだってある。

けれど、こうした病気を前にすると、自分がどれだけ生きたがってるのか、当たり前だと思っていた味気ない日常がどれだけ幸せなのか、まだやりたいことも伝えたいこともたくさんあるんだってことを思い知らされる。普段の自分が、どれだけ自由であるのかも。

だからこそ、もっともっと素直に、生きていきたいな。そう、改めて思えた。

 

早く回復されて、日常を取り戻されますように。

その姿が、今も病気と闘う多くの人を勇気づけると思うので。願っています。

 

 

ブログを書くこと

「ブログ、書かないの?」「ブログ、もっと書いてよ!」

言われると、嬉しい台詞。その分、ドキッとする台詞。

 

ネタが無くてなかなか。。。なんて言っちゃいそうになるけど、ネタなんてなくたってブログを書けることは、大学時代毎日ブログを更新してた自分が一番知ってる。

有料のブログを書いてるとか、私が何らかの有名人だったりとかしたら、毎回価値ある情報を提供しようと思うとうーんと頭をひねってなかなか更新が難しいなってなるかもしれないけれど、そうじゃない私は何を書いたって許されるんだから。

それに、冒頭のような台詞をわざわざ掛けてくれる友人たちは、私のブログを読んで何か新しい発見をすること・学ぶことに対して期待してるわけじゃないってわかってる。

ただただ、私が書く文章を読みたいと言ってくれているんだ。それも、できるだけ素直な文章を。

これは、とっても幸せなことだ。

 

ブログを書けないのは、書こうと思ってないから。

そこを分解していくと、心が穏やかでなかったり、バタバタしてたり、遊んでばかりのとき(笑)は書けない。

 

最近は、梅雨入りもあいまってか、今はもっとじっくりと、自分の中に深く潜って行きたいし思索を深めたいしインプットしたいし創り出したいって思う。スケジュール帳は、できるだけ埋め尽くさないようにして余白を置いている。

深く潜るときに、ブログはちょうどいい。昔から、ブログを書きながら自分と対話してきた。ブログで言葉にすることで形になった思い、言葉にして改めて気付かされた本音、そういったものが過去、たくさんあった。そして今も旧ブログの後ろの方でひっそりと、でも輝いて座っている。

 

 

マイペースに、でも今までよりはハイペースで(週3目標)更新していきます。

通りすがって読んでくれた人は、ぜひぜひコメントくれたり、声掛けてくれたらうれしいです。

自己満足で書いてるけど、あなたに届くことで私の思いと声は力を増すと思うから。

やるせない気持ちと欲と

ここ数年、わりかし楽観的というか気にしない性格になった方だと思うけど、それでも突如悲しいとかつらいとか苦しいとか悔しいとかの感情が、自分の中に湧き出てきて、むくむくと心を覆い尽くすことがある。

それは、ひとたび湧き出てくるとすごい勢いで広がってゆくから、あれよあれよと言う間に負の方向へ引っ張っていく。

だけども、それと綱引きをして、ようやく自分の陣地へ引き込めたかな、五分になったかな、という頃には、不思議な清々しさというか、吹っ切れた感情が今度は代わりに広がってゆく気がする。

 

昔、とてもつらいことがあったときに、気を紛らわそうとするかのように動き続けていたら、「最近キラキラしてるね」とやけに言われた時期もあったっけ。

心の中は土砂降りだったのに。まあ、がむしゃらに動いているうちに晴れ間も差してきたんだけれど。

 

コンプレックスに感じていたことに、うわーってなりながら向き合ったときも、デトックスできたのかやけに久々に会った方に驚かれたりもした。

 

 

これまでの少しばかりの人生を振り返ってみると、私を動かしてきたのはいつも「どうしようもない負の気持ち」と「欲」だったことに気付く。

悔しさをバネにして、というカッコいい言葉はあんまり似合わない気がする。

感情から逃げるかのように、立ち止まって考えてしまうと涙しか流れないからそれを避けるかのように、別の何かに突進して、のめり込んで行く。

新しいことを、してみる。当たり前のことを、ちゃんとする。これまでの固定観念に縛られずに動く。

そんな小さな一歩を踏み出し続けるうちに、何かしらは前に進めてたのかもしれない。

 

そしてそのときにスパイスを添えるのが欲。

 

この前佐野さんが書いてたこのブログにとても共感したのだけれど、「ここではないどこかへ」的な、「別の自分に」的な欲。脱皮欲。

わずかばかりでも欲があれば、パワーを振り絞ることができる。

 

また最近むくむくと現れてきたそんな気持ち。

ちょっぴり面倒くさいし抱えて生きていくには重いから、どこかに置いていきたくなるんだけど、こいつと一緒に前に進んでいった方が予想できない未来になりそうで面白そうだから、ちゃんと抱えていこう。

 

2016年は、自分を見つめて動く年だなあ。

【About you】♯103 角川悟愛

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Basic Data】

名前:角川悟愛(すみかわさとえ)

所属:シナジーマーケティング株式会社

生年月日:1986年2月23日

 

【Interview】

―まずお仕事について、入社後からキャリアを教えてください。

社会人8年目で、これまでを振り返ると、1年目は東京配属になり職種は営業でした。3年目まで同じポジション・同じ環境で仕事をした後、ちょうど4年目になる春に大阪に戻って来て、インサイドセールス部隊の立ち上げに関わりました。その後、社内のお困りごとを解決するグループで半年間マネージャーをして、去年1年間は自社のマーケティングを行う部の部長をしていました。

 

振り返ってみて思うことは、社会人1年目の経験が自分の中での土台になっているということです。特に「がむしゃらに自分が手を動かす」「理解できるまで、納得いくまで質問する」スタンスは、1年目に徹底しておいたおかげで今の自分のスタンダードなスタンスとして身に付いたんだと思います。効率よく早く帰ろうと思ったら、「私の仕事はここまでだから、あとは◯◯さんよろしくお願いします」って別部署の方にバトンタッチできるけれど、お客様の窓口となる自分が理解もしないままに提案をするのが自分としては嫌だったから、Webサイトの提案をするときはどんな考えの元このデザイン案が生まれたのかを自分の中で落とし込んだし、開発案件であれば「この費用が高いのはこのリスクを回避するためなのか」と?と思うことをひとつずつ潰していったりと、わからないなりに最低限でも理解するようにしていました。

 

ー入社以前からばりばり働くぞ!という気持ちはありましたか?

ありました。ただ、全然ITには興味が無くて(笑)うちの会社を選んだ理由は人なんです。だから、「なんでも話せる営業マンになってITの世界で天下を取りに行くぞ!」って気持ちは無かったです(笑)うちの会社はありものを売るのではなくて、お客さんのニーズを聞いてそれに合ったソリューションを提案する側面が強いので、提案する人間の力量が問われると思います。だからこそ、いかに必要とされる人になるかを意識していました。あと、私は「自分が評価されたい」欲が強かったから頑張れたんじゃないかなと思います。

 

―角川さんから聞いた印象的なエピソードのひとつに「1年目はとにかく提案書収集マスターになって、周りで『こんな資料ない?』って言ってる人がいたら誰よりも早く渡す癖を付けていた」お話があります。

1年目のときって自分がやれることが本当に少ないじゃないですか。その中で自分がまずできることは、先輩の技や言い回しを盗むことだと思っていて、その一環で色んな先輩の提案書を片っ端から盗んでストックしてました(笑)そのストックがあったおかげで、誰かが困ってるときにスッと差し出すことができたんです。それに、誰かに渡すことで、自分も「この資料にこの内容が載っているんだ」って再認識できました。あと、先輩に恩を売ることでポジショニングができて、かつ自分が困ったときに助けてくれるようになるでしょう(笑)そういう意味では、計算高くやってたのかもしれません(笑)

 

―1年目の思い出といえば、あの大型案件ですかね?

そうですね。かなり大掛かりな開発案件なのに、ぺーぺーの私が窓口なものだから、何か起こるとは思っていましたが。。色々トラブった結果、お客さんに「うちの会社は新卒の勉強台じゃありません。営業を変えてください。」と言われたときには、力不足な自分がもうショックで情けなくて悔しくて仕方なかったです。でもそこで大きな挫折をして、なんとか挽回しようとしたことが成長のきっかけになったと思います。

 

―逆に2-3年目のエピソードはあまり聞いたことがないです。特に困ることもなかったんですか?

そうなんです。私はたぶん、置かれている環境によって今何が必要なのか・自分はどの立ち位置に立つべきかを察するアンテナが高い方で、「大型代理店の担当」に求められるのは、代理店さんからの質問に対してすぐに的確に回答をすることだったから、システムの仕様を完璧に覚えたりしてそこを徹底したんですよね。だから、好かれて案件も貰えたんだと思います。ということで、挫折することなく過ごしてしまったがために特に思い出はないです(笑)

 

―大阪に帰ってからの仕事内容はどうでした?

インサイドセールスに関しては、立ち上げやルール決めに関われたことは楽しかったです。結構業務設計が好きなので。電話とメールでお客さんのニーズを聞き出して素早く的確に回答する業務自体も、代理店担当時代とそんなに変わらなくて、大きな苦労は無かったです。その後、引き続きインサイドセールス活動をしながら社内のお困りごとの解決役をしてたんですが、これも自分の好きな分野の仕事だったから楽しかったです。自分自身、新人のときは「この情報はどこにあるの?誰に聞いたらいいの?」ってかなり戸惑ったので、自分がいることで誰かの困りごとが減ってかつ売り上げが上がったり会社がうまく回るようになることが嬉しかったしやりがいがありました。

 そんな感じで特段苦労もせずぬくぬくと過ごしてたときに、「自社マーケティングの部長をやってほしい」と言われて、最初はフリーズしました(笑)「え?『CVR』って言葉の意味も曖昧な私が部長。。。?」って。これが、私の次のターニングポイントに繋がるわけです。。。

 

―部長になってみて何が大変でしたか?

とにかく、自社のマーケティングについて自分がほとんど分かっていないので、「このレポートは何ですか?これは何の数字ですか?」ってことをメンバーに聞くところから始まるわけで。メンバーはみなさんそれぞれ特定の分野のプロフェッショナルな方なので、なんでわからないことだらけの私が部を束ねてるんだろう、って自己嫌悪にもなりました。何もわからないから、自分の意見もあまり言えないし、意見の根拠も持てない。本当に右も左もわからない状況でした。

あわせて、部長になってからは自分の弱点をすごく突き付けられたんです。たとえば、空気を読んでしまう性格とか、気を遣ってしまって人に強く言えないところとか、何でも自分でやってしまって任せられないところとか、断れないところとか。昔から抱えていた弱点が全部露呈した1年だったと思います。まあそうしたいろんな要素が重なった結果、とても肌が荒れました(笑)

 

―そんな中で、旦那さまと2人で2016年4月から1年間休職・留学をするという大きな決断をされたわけですが、決めたのはいつだったんですか?

決めたのは10月か11月くらいです。部長になって4~6月がすごくキツくて、夏頃からその疲れが出て肌がめちゃめちゃ荒れたわけですが(笑)、9月くらいからはある程度慣れてきてたんですよね。

そんな20代最後の秋に、ふと思ったわけです。「私はこのままでいいんかな?」って。

同じタイミングで、彼も色々と考え始めていました。彼は自分で事業をするという夢があって、そのための手段として語学が必要だった。私は海外旅行が好きなのでもっと喋れるようになりたいし、将来やりたいことに関する海外の現状を知りたかった。お互いの希望が合致して、「よし、留学しよう」と決めました。

この決断ができたのは、部長になってからの挫折があったからですね。のらりくらりとやっていた1年だったら、挫折が無いから自分の弱点とか本来やりたかったことを振り返ることはなく、何も考えずに居たと思います。

 

―留学先であるカナダでは何をされるんですか?

最初の3ヶ月は語学学校に行って、その後はカフェなどアルバイト先を探して働きつつ、ネイティブの人とコミュニケーションが取れるスキルを高めていきながら、将来のための勉強を兼ねてアニマルシェルターでボランティアをするつもりです。

 

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―角川さんの夢は「動物に関わること」と聞いています。その夢はいつからなんですか?

小学2年生からです。高2までは獣医を目指してたんですが、受験期に勉強に挫折して獣医を諦め、専門学校へ入学し、動物看護士を目指そうと思いました。しかし、専門職へ進むことに対する両親の心配もあり、「本当にやりたければ大学を卒業してからその道へ進めばいいや」と思って立命館大学へ入学しました。大学生になった私はすっかりハジけてしまい、そんな夢も忘れてリア充な生活を満喫してしまいました。。就職活動のときに、動物看護士を目指すかどうか再度考えましたが、「とりあえず潰しがきくよう企業勤めの経験をしておいた方がいいな」と判断し、今の会社に入社しました。動機は不純ですが(笑)やりがいを持って働いてたわけです。が、29歳で挫折をして自分を見つめ直したときに、「私が本当にしたいことは何だろう?」って考えたらやっぱり動物に関わることでした。具体的には動物保護に関する活動がしたいです。世界にはペットショップが無くて里親譲渡会からしか動物を家族として迎えてはいけない法律がある国もあります。一方で日本はまだまだです。つまりは、もっとよくなる可能性があると思っています。海外と日本では、道徳観とか生活の中でのボランティアの浸透具合とか、色々前提条件の違いがありますが、日本でも取り入れるべき制度、活用すべきメディアとか参考になることは多くあるのではないかと思っています。その勉強を留学中にしたいです。

 

―復職後のキャリアイメージはありますか?

さっきの話の続きでいくと、日本でもマイクロチップ、里親譲渡とかが当たり前になるような活動をしていきたいのですが、そのための制度やメディアがまだまだ不足していると思います。そこになんらか手を入れたいですね。うちの会社は強いメディアを持つYahoo! JAPANのグループ会社なので、CRMとメディアをうまく活用できないか、勝手に模索しています(笑)

  

―将来やりたいことって何かありますか?

老後は、縁側と広いお庭があるちょっと広めの田舎の家に引っ越して、そこでアニマルシェルターの動物を可能な限り引き取って里親を探しながら、動物が自由に走り回る様子を見て、縁側でお茶をすするばあちゃんになりたいです(笑)それだけが自分の人生最後のイメージとしてあります。それ以外だと、世界各国に友達を作って、年取っても遊びに行きたいですね。

 

―最後に、後輩へのメッセージ・人生訓をぜひお願いします。

「苦労は買ってでもしろ」ってことわざを聞くと「え?」って思うかもしれませんが、私はあれは「たくさんチャレンジをしなさい」ってことなんだと解釈しています。チャレンジって未経験のことに飛び込むことだから、大体挫折とセットですよね。その挫折経験が何かを変えたり成長するきっかけになると思うんです。保守的になるのは家庭とか子どもとか守るものができてからでよくて、若いうちはとにかくたくさんチャレンジしてたくさん挫折すればいいと思います(笑)

挫折が無いと、のちのち人生を振り返ったときに、「あれ?私何してたっけ?」ってなりそうですよね。60年のうち何十年も思い出せることがないって寂しいから、私はたくさん挫折して、「ああ、こんなこともあったね。大変だけど楽しかった」って笑いたいです。

 

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■My note

1年目の途中、挫折して大阪に帰ってきた私を迎え入れてくださった部署で私の上司として付いてくれたのが角川さんでした。

一つひとつの仕事が迅速かつ丁寧で、ストイック。そして、常に相手に役立てるためには役割や期待以上のgiveを惜しまない姿勢。思わずみんながフレンドリーに接してしまうほど(笑)、後輩にも優しい姿。もちろんそれゆえに社内外からの信頼はとても厚いものがあり、その姿を見ながら隣で仕事ができたことは本当に恵まれていました。

私が大阪に帰ってきた初日に「どうすれば仕事を進めやすいのか」をヒアリングしてくださり、どんなに忙しくても私が質問をするたびに都度手を止めて私の腑に落ちるまで答えてくださった角川さんには本当に感謝でいっぱいです。

角川さんの部下になれてよかったです!また帰国されたらお肉食べに行きましょうね!

【EVENTレポ】堂島デザイン会議(2016/1/23)

昨年に引き続き、堂島デザイン会議に行ってきたので、レポを。

※記事内の写真は堂島デザイン会議公式サイト、堂島デザイン会議Facebookページ、ならびに主催者田中さんの投稿などから拝借しております。

 

▼昨年のレポ

 

堂島デザイン会議(http://dojimadesignkaigi.com/)は、主にクリエイターの方を対象としたイベント。

毎回新しいモノづくり・コトづくりに挑戦する若きトップランナーの方をゲストに招いて開催されています。

 

「堂島」とタイトルに付いてありながら、前回の開催場所は京都、今回の開催場所がなんばなのはちょいとツッコミたくなるポイントです(笑)昨日の会場はなんばパークス内にある家具屋さんでした!

 

▼会場だったHUGさん

 

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インテリアショップでイベントって、なかなか斬新。

会場の椅子にはソファーもちらほら。こんなに参加者に優しい椅子、なかなか無い。 

ただ、私は案の定慣れてないミナミで迷って到着が遅れてしまい、最後列だったのでソファーの恩恵には預かれませんでした(笑)

 

イベントは大盛況。

前売り券は完売、当日もこの人口密度。熱気がすごかったです。

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今回のテーマは、「セルフプロデュース!」

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ゲストはフリーランスPR/Web編集者の塩谷舞さんとクリエイティブディレクター/デザイナーの福嶋賢二さんでした。

イベントの構成は、お二人がそれぞれ経歴や実績、仕事へのスタンスについて話され、最後に質疑応答があるというもの。

 

 

まずは塩谷さんのターン。

塩谷舞さんは、1988年大阪出身。

京都市立芸術大学在学中にSHAKE ART!という団体を立ち上げ、関西の芸大生の横の繋がりを生み出し、アートとクリエイティブの情報発信をするフリーペーパーを刊行されました。大学卒業後は、上京しCINRA.NET(http://www.cinra.net/)を運営する株式会社CINRAに入社され、Webディレクターと広報として活躍。

昨年からフリーランスになられ、チーズタルトで有名なBAKE(http://bakecheesetart.com/)のオウンドメディア〝THE BAKE MAGAZINE〟を立ち上げられ運営中。

 

▼〝THE BAKE MAGAZINE〟

その他も漫画家さんなどのエージェントとしてPRやファン作りをサポートしている株式会社コルク(http://corkagency.com/)さんともお仕事されてたり、さまざまな媒体で執筆もされています。塩谷さん自身も「『セルフブランディング』というテーマで呼ばれているけれど、自分のテーマも肩書きも定まってない」とのこと。それだけ多彩。

 

そんな塩谷さんの根幹にあるのは「何かをするためにどう人を巻き込んでいくか、仲間につけるか」という姿勢。

スキルと知名度がある方だから一人でもできることは数多ありそうだが、塩谷さんは必ず何かをするときに仲間をまず見つける。しかもプロデューサー的な視点の持ち主のため、良きものを作るためにプロデューサーとディレクションに徹するような性格である。その原点は、演劇だ。

塩谷さんは、幼少時代から演劇をされていた。演劇は役者と裏方がいてはじめて成り立つもの。そしてその前提には脚本や音響、照明などさまざまな要素がある。その世界を知っているからこそ、強い個を集めて(あるいは個がそれぞれパワーアップして)自分の役割を果たす事でそれが調和し、100以上の力が、自分1人でやる何倍もの力が出せることを知っているのだと思う。そして、同時に観客の目も持っている。つまり「このプロジェクトはどう思われるのか」「どういった訴求が一番観る者を引きつけるのか」そういった観客視点の意識があるからこそ、「バズる」、言い換えると「それだけ多くの人間の心を揺さぶる」プロジェクトや文章を世に放てられるのだと思う。

 

大学時代、塩谷さんは「関西の美大生は情報発信力が弱いから、東京にナメられてる!というか、認識すらされていない!ちゃんと主張しないと息してないと思われる!」と危機感を感じる。そこで、SHAKE ART!というフリーペーパー発行を決意。

1人ではできない。仲間を募らなきゃいけない。

しかし、当時周りから「とっつきにくい印象を持たれていた」という塩谷さんは、「仲間を引っ張っていけるような引力のある人間に変わらないと!」と決意。ただ性格的に簡単に変われない部分もあったため、「キャラクターを演じよう」と決めたそう。

その際に「呼ばれやすく覚えられやすい名前」もひとつの武器だと思い、「しおたん」というあだ名を積極的に使うようになったそうだ。

「喋り掛けられやすく、周りが思わず助けたくなる人になろう」という気持ちは、そう決意されたとき以来ずっと持っておられるそう。仲間を見つけるための方法としては「誰も口にしてない共通のストレスを見つけて主張すること」ともおっしゃっていた。言葉にできないモヤモヤを誰かが言語化してくれたとき、人はその相手に付いていきたくなるんだという。

その他にも、仕事の相談が来たとき、「自分よりうまくできそうな人がいる仕事はどんどん相手に紹介していくことも信頼に繋がっている」という言葉も印象的だった。

 

塩谷さんは、ライター専業というわけではないが、「今現在Web上で熱量の高い文章を書ける人」というカテゴリがあれば間違いなくベスト3に入る人だと思っている。

そんな塩谷さんの記事は、いつも大きな話題になっている。

 

▼塩谷さんのブログ

 

ある程度Twitterをやっていて、Web界隈の方やライターさんをフォローされている方は間違いなくタイムラインで見かけたことがあるだろう。

これまでは「ぎりぎり炎上しない記事をテーマにやってきた」という塩谷さん。

しかし、先日更新されたこちらの記事は史上初めて炎上したという。

 

▼「メディアには影響力がなければいけない」

 

コンテンツマーケティングの流行、

オウンドメディア・ニュースサイトの乱立。

どこも「PV」と「バズ」と「たくさんのイイネ!」を追いかけている。

 

「PVを稼ぐのに一番手っ取り早いのは有名人への取材」といった背景から「取材させてください!」→「2-3時間相手の時間をいただいて取材」→「ライター乱立時代の世の中、文章がお世辞にも上手ではないライターが誤った文法などを使った記事を書いてリリース、拡散は取材対象任せ」といった循環もよく目に付くとのこと。そのとき感じた疑問と違和感と怒りを、真っすぐに詰め込んで業界に警鐘を鳴らしたのがこの記事だった。「反論や批判の声もたくさんあった」とのことだが、それ以上の共感も呼び、SNS上ではたくさんシェアされていた。 ※ちなみにしおたんさん自身は「取材されて自身をPRするよりも、取材する側に回りたい!」とおっしゃっていた。 

 

 

続いて福嶋賢二さんのターン。

福嶋さんは1982年滋賀県生まれ。

大学院への進学を考えていた折に「同じお金を出すのなら北欧に留学したら」という友人のアドバイスからスウェーデンへ留学。その後、喜多俊之氏(http://www.toshiyukikita.com/)に師事した後、4年前から独立してプロダクトデザインを中心としたお仕事をされています。

※驚いたことに、大阪には同年代のプロダクトデザイナーは福嶋さんを含めて5人しか居ないらしい。

 

ただ、プロダクトデザイナーと名乗ってはいるものの、「モノの見せ方、広め方の部分まで手伝ってほしい」という依頼が多いそうで、実質はグラフィックデザインから展示会出展の際のプロデュースまで行われていらっしゃいます。

 

福嶋さんの作品は、斬新だけどどこか懐かしさを感じます。

 

たとえば、こちら。

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※福嶋さんのサイト(http://www.kenjifukushima.com/)から拝借

 

これ、消しゴムのベストセラー「まとまるくん」だというのだからびっくり。

「25周年記念に大人用のまとまるくんを作りたい」という企業側の願いを叶えたプロダクト。こちらはロゴからパッケージ、そしてリーフレットまで福嶋さんが作ったそうだ。おしゃれ。このまとまるくん欲しい。

 

次に、こちら。

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※福嶋さんのサイト(http://www.kenjifukushima.com/)から拝借

 

こちらは「ボールペンでかける和紙手紙」

生み出すにあたっては、色んな産地の和紙を500-600種類揃えて、ひとつずつボールペンやゲルインクとの相性を確かめていったそう。今後はこのプロダクトをより活かすためのコラボ企画も構想されているそうです。

 

その他、京都のイラストレーターさんと共同で生み出したプロダクトとして、「お札がぴったり入る和紙袋」なども。

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※福嶋さんのサイト(http://www.kenjifukushima.com/)から拝借

 

発想がユニークで面白い。お年玉をもらったときに、すぐに何円かわかりますね(笑)

その他にも、「デザイナーの内輪にならないイベントを」といった思いから、昨年10月には神戸で「100人の日用品展」なども開催されている。

100人の日用品展

 

幅広いお仕事を手掛けられているだけあって、仕事の内容の中でデザインをする時間は1/3くらい、とのこと。他は販路開拓のための営業などに奔走されている時間が多いという。そういった視点から、「ガリガリとデザインだけをしたいのなら大きな企業に入った方がいい」ともアドバイスされていました。

 

そんな福嶋さんが独立当初に意識されていたのは、「東京でも、名古屋でも、呼ばれたらどこでも行く」ということ。それを見越して、独立1年目の交通費用に100万円を用意したそうです。また、理想から逆算する方式で、「半年に1回自分のギャラを上げていく」ということをずっと意識しているそう。「デザインの金額を下げて『安くで何でもしますよ』というスタンスでは、プロダクトデザイナーを目指す学生に夢を与えられない」という思いと、「フィーは信頼だし信用の証だから、金額を下げたらそこが揺らいでしまう。お互いにとってベストな仕事をするためにもギャラの交渉はしっかりとする」といった思いからだそうです。

 

プロダクトデザイナーさんというと、黙々と作ってらっしゃる口べたな方が多いような印象を持っていたのですが、芯を持ち、しっかりと主張をしながら、しかも茶目っ気と営業を欠かさない福嶋さんには、カリスマ性を感じました。

※プレゼンで時間が押してしまい「これで最後!」と出したスライドが間違えたスライドで、「あれ?」と言いながらスライドをめくってる際にプロダクトの紹介を挟んだり、最後には「こんなプロジェクトしましょ!」と塩谷さんやファシリテーターの方をメンバーとして構成した企画をスライドで出したりと、凝った演出で会場を沸かせていました(笑)

 

 

最後は、質疑応答のコーナー。

 

【塩谷さんへの質問】

■「言葉の引き出しを増やすために、あるいは良い文章を書くためにされている努力や勉強はしているか?」

→「流行のカタカナ・横文字や皆が使っているカッコいい言葉は使わないように心がけている。例えば食べ物に例えるなどして、できるだけわかりやすい言葉を使って表現しようとしている。」

 

■「取材をするときに相手の本音を引き出すために心がけてることは?」

→「相手の同業他社との違いを見つけること。また、そこに対してどんな意見・スタンスをその人・その会社が持っているのかも調べておく。たとえば、『あの会社と似てますよね!』って引き合いに出したところがバチバチの競合や相手の理想と異なるものだったら大変。私も『塩谷さんって〝キラキラ広報ブロガー〟ですよね!』って言われたら嫌だし。。。(笑)」

 

■「今までに一番バズった記事は?」

2chまとめサイトでも話題になったこの記事。

 

■「性格がひどく内向きな人間はどうやって生きればいいか?」

→「ひどく内向きな人もたくさんいるし、そんな人はインターネットにもたくさんいるし、そこに共感できるのも内向きな人だけ。内向きサービスとかも需要がある。外向きが全てだ!ってわけじゃないので、そのまま内向きを極めて生きてください!」

 

 

【福嶋さんへの質問】

■「学生の頃にやっておいてよかったことは?」

→「他の学科・学年・学校の方とつながってたこと。いろんな人と知り合っていたら、何に困ったとしても誰かに相談できる。」

 

■「キャラ作りしてますか?」

→「まったく意識していない。自分の色は無いと思ってるし、クライアントさんに合わせて変えている。問題解決ができて、いいモノが作れて売れれば、自分のキャラはなんでもいい」

 

【2人への質問】

■「著名じゃなかった頃どうやって会いたい人と会っていた?」

→塩谷さん「ライターの仕事のきっかけは、面白法人カヤックhttp://www.kayac.com/)のイベントに行ってイベントレポートをまとめたこと。名刺交換などをしてもなかなか覚えてもらえないので、自分の出来ることで相手にうまみを提供する事が大事。」

 

▼そのときの記事がこちら

 

→福嶋さん「講演などに行った際には名刺交換をして、後で手紙を書くこと。何かを作ってる方や会社に見てもらいたいときには、提案や自分が作ったものを作って持って行く。」

 

■お二人にとってのセルフプロデュースとは?

→塩谷さん「『あやかった分は返す』PRは、媒体や有名な方にあやかることが多いもの。そこで借りた恩はその分相手に残るものを返すべし」

 

→福嶋さん「『相手を思いやること』プロダクトデザインは、クライアントの思いがあってこそ。相手が無いと何も生まれないし、相手とどうやってコミュニケーションをとっていくかが大事。」

 

  

かたや「受注から記事リリースまで一週間なこともある」Web、かたや「デザインからリリースまで1年以上掛かることもある」プロダクトデザイン。

色は違っても、「セルフプロデュース!」の極意に「相手・他者の存在」を共通して挙げていたお二人だからこそ、周りの人に愛され信頼され、ひとりで何かを進めていく以上の大きなインパクトを生み出していくことができているのだなあと思いました。