【About you】♯103 角川悟愛

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Basic Data】

名前:角川悟愛(すみかわさとえ)

所属:シナジーマーケティング株式会社

生年月日:1986年2月23日

 

【Interview】

―まずお仕事について、入社後からキャリアを教えてください。

社会人8年目で、これまでを振り返ると、1年目は東京配属になり職種は営業でした。3年目まで同じポジション・同じ環境で仕事をした後、ちょうど4年目になる春に大阪に戻って来て、インサイドセールス部隊の立ち上げに関わりました。その後、社内のお困りごとを解決するグループで半年間マネージャーをして、去年1年間は自社のマーケティングを行う部の部長をしていました。

 

振り返ってみて思うことは、社会人1年目の経験が自分の中での土台になっているということです。特に「がむしゃらに自分が手を動かす」「理解できるまで、納得いくまで質問する」スタンスは、1年目に徹底しておいたおかげで今の自分のスタンダードなスタンスとして身に付いたんだと思います。効率よく早く帰ろうと思ったら、「私の仕事はここまでだから、あとは◯◯さんよろしくお願いします」って別部署の方にバトンタッチできるけれど、お客様の窓口となる自分が理解もしないままに提案をするのが自分としては嫌だったから、Webサイトの提案をするときはどんな考えの元このデザイン案が生まれたのかを自分の中で落とし込んだし、開発案件であれば「この費用が高いのはこのリスクを回避するためなのか」と?と思うことをひとつずつ潰していったりと、わからないなりに最低限でも理解するようにしていました。

 

ー入社以前からばりばり働くぞ!という気持ちはありましたか?

ありました。ただ、全然ITには興味が無くて(笑)うちの会社を選んだ理由は人なんです。だから、「なんでも話せる営業マンになってITの世界で天下を取りに行くぞ!」って気持ちは無かったです(笑)うちの会社はありものを売るのではなくて、お客さんのニーズを聞いてそれに合ったソリューションを提案する側面が強いので、提案する人間の力量が問われると思います。だからこそ、いかに必要とされる人になるかを意識していました。あと、私は「自分が評価されたい」欲が強かったから頑張れたんじゃないかなと思います。

 

―角川さんから聞いた印象的なエピソードのひとつに「1年目はとにかく提案書収集マスターになって、周りで『こんな資料ない?』って言ってる人がいたら誰よりも早く渡す癖を付けていた」お話があります。

1年目のときって自分がやれることが本当に少ないじゃないですか。その中で自分がまずできることは、先輩の技や言い回しを盗むことだと思っていて、その一環で色んな先輩の提案書を片っ端から盗んでストックしてました(笑)そのストックがあったおかげで、誰かが困ってるときにスッと差し出すことができたんです。それに、誰かに渡すことで、自分も「この資料にこの内容が載っているんだ」って再認識できました。あと、先輩に恩を売ることでポジショニングができて、かつ自分が困ったときに助けてくれるようになるでしょう(笑)そういう意味では、計算高くやってたのかもしれません(笑)

 

―1年目の思い出といえば、あの大型案件ですかね?

そうですね。かなり大掛かりな開発案件なのに、ぺーぺーの私が窓口なものだから、何か起こるとは思っていましたが。。色々トラブった結果、お客さんに「うちの会社は新卒の勉強台じゃありません。営業を変えてください。」と言われたときには、力不足な自分がもうショックで情けなくて悔しくて仕方なかったです。でもそこで大きな挫折をして、なんとか挽回しようとしたことが成長のきっかけになったと思います。

 

―逆に2-3年目のエピソードはあまり聞いたことがないです。特に困ることもなかったんですか?

そうなんです。私はたぶん、置かれている環境によって今何が必要なのか・自分はどの立ち位置に立つべきかを察するアンテナが高い方で、「大型代理店の担当」に求められるのは、代理店さんからの質問に対してすぐに的確に回答をすることだったから、システムの仕様を完璧に覚えたりしてそこを徹底したんですよね。だから、好かれて案件も貰えたんだと思います。ということで、挫折することなく過ごしてしまったがために特に思い出はないです(笑)

 

―大阪に帰ってからの仕事内容はどうでした?

インサイドセールスに関しては、立ち上げやルール決めに関われたことは楽しかったです。結構業務設計が好きなので。電話とメールでお客さんのニーズを聞き出して素早く的確に回答する業務自体も、代理店担当時代とそんなに変わらなくて、大きな苦労は無かったです。その後、引き続きインサイドセールス活動をしながら社内のお困りごとの解決役をしてたんですが、これも自分の好きな分野の仕事だったから楽しかったです。自分自身、新人のときは「この情報はどこにあるの?誰に聞いたらいいの?」ってかなり戸惑ったので、自分がいることで誰かの困りごとが減ってかつ売り上げが上がったり会社がうまく回るようになることが嬉しかったしやりがいがありました。

 そんな感じで特段苦労もせずぬくぬくと過ごしてたときに、「自社マーケティングの部長をやってほしい」と言われて、最初はフリーズしました(笑)「え?『CVR』って言葉の意味も曖昧な私が部長。。。?」って。これが、私の次のターニングポイントに繋がるわけです。。。

 

―部長になってみて何が大変でしたか?

とにかく、自社のマーケティングについて自分がほとんど分かっていないので、「このレポートは何ですか?これは何の数字ですか?」ってことをメンバーに聞くところから始まるわけで。メンバーはみなさんそれぞれ特定の分野のプロフェッショナルな方なので、なんでわからないことだらけの私が部を束ねてるんだろう、って自己嫌悪にもなりました。何もわからないから、自分の意見もあまり言えないし、意見の根拠も持てない。本当に右も左もわからない状況でした。

あわせて、部長になってからは自分の弱点をすごく突き付けられたんです。たとえば、空気を読んでしまう性格とか、気を遣ってしまって人に強く言えないところとか、何でも自分でやってしまって任せられないところとか、断れないところとか。昔から抱えていた弱点が全部露呈した1年だったと思います。まあそうしたいろんな要素が重なった結果、とても肌が荒れました(笑)

 

―そんな中で、旦那さまと2人で2016年4月から1年間休職・留学をするという大きな決断をされたわけですが、決めたのはいつだったんですか?

決めたのは10月か11月くらいです。部長になって4~6月がすごくキツくて、夏頃からその疲れが出て肌がめちゃめちゃ荒れたわけですが(笑)、9月くらいからはある程度慣れてきてたんですよね。

そんな20代最後の秋に、ふと思ったわけです。「私はこのままでいいんかな?」って。

同じタイミングで、彼も色々と考え始めていました。彼は自分で事業をするという夢があって、そのための手段として語学が必要だった。私は海外旅行が好きなのでもっと喋れるようになりたいし、将来やりたいことに関する海外の現状を知りたかった。お互いの希望が合致して、「よし、留学しよう」と決めました。

この決断ができたのは、部長になってからの挫折があったからですね。のらりくらりとやっていた1年だったら、挫折が無いから自分の弱点とか本来やりたかったことを振り返ることはなく、何も考えずに居たと思います。

 

―留学先であるカナダでは何をされるんですか?

最初の3ヶ月は語学学校に行って、その後はカフェなどアルバイト先を探して働きつつ、ネイティブの人とコミュニケーションが取れるスキルを高めていきながら、将来のための勉強を兼ねてアニマルシェルターでボランティアをするつもりです。

 

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―角川さんの夢は「動物に関わること」と聞いています。その夢はいつからなんですか?

小学2年生からです。高2までは獣医を目指してたんですが、受験期に勉強に挫折して獣医を諦め、専門学校へ入学し、動物看護士を目指そうと思いました。しかし、専門職へ進むことに対する両親の心配もあり、「本当にやりたければ大学を卒業してからその道へ進めばいいや」と思って立命館大学へ入学しました。大学生になった私はすっかりハジけてしまい、そんな夢も忘れてリア充な生活を満喫してしまいました。。就職活動のときに、動物看護士を目指すかどうか再度考えましたが、「とりあえず潰しがきくよう企業勤めの経験をしておいた方がいいな」と判断し、今の会社に入社しました。動機は不純ですが(笑)やりがいを持って働いてたわけです。が、29歳で挫折をして自分を見つめ直したときに、「私が本当にしたいことは何だろう?」って考えたらやっぱり動物に関わることでした。具体的には動物保護に関する活動がしたいです。世界にはペットショップが無くて里親譲渡会からしか動物を家族として迎えてはいけない法律がある国もあります。一方で日本はまだまだです。つまりは、もっとよくなる可能性があると思っています。海外と日本では、道徳観とか生活の中でのボランティアの浸透具合とか、色々前提条件の違いがありますが、日本でも取り入れるべき制度、活用すべきメディアとか参考になることは多くあるのではないかと思っています。その勉強を留学中にしたいです。

 

―復職後のキャリアイメージはありますか?

さっきの話の続きでいくと、日本でもマイクロチップ、里親譲渡とかが当たり前になるような活動をしていきたいのですが、そのための制度やメディアがまだまだ不足していると思います。そこになんらか手を入れたいですね。うちの会社は強いメディアを持つYahoo! JAPANのグループ会社なので、CRMとメディアをうまく活用できないか、勝手に模索しています(笑)

  

―将来やりたいことって何かありますか?

老後は、縁側と広いお庭があるちょっと広めの田舎の家に引っ越して、そこでアニマルシェルターの動物を可能な限り引き取って里親を探しながら、動物が自由に走り回る様子を見て、縁側でお茶をすするばあちゃんになりたいです(笑)それだけが自分の人生最後のイメージとしてあります。それ以外だと、世界各国に友達を作って、年取っても遊びに行きたいですね。

 

―最後に、後輩へのメッセージ・人生訓をぜひお願いします。

「苦労は買ってでもしろ」ってことわざを聞くと「え?」って思うかもしれませんが、私はあれは「たくさんチャレンジをしなさい」ってことなんだと解釈しています。チャレンジって未経験のことに飛び込むことだから、大体挫折とセットですよね。その挫折経験が何かを変えたり成長するきっかけになると思うんです。保守的になるのは家庭とか子どもとか守るものができてからでよくて、若いうちはとにかくたくさんチャレンジしてたくさん挫折すればいいと思います(笑)

挫折が無いと、のちのち人生を振り返ったときに、「あれ?私何してたっけ?」ってなりそうですよね。60年のうち何十年も思い出せることがないって寂しいから、私はたくさん挫折して、「ああ、こんなこともあったね。大変だけど楽しかった」って笑いたいです。

 

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■My note

1年目の途中、挫折して大阪に帰ってきた私を迎え入れてくださった部署で私の上司として付いてくれたのが角川さんでした。

一つひとつの仕事が迅速かつ丁寧で、ストイック。そして、常に相手に役立てるためには役割や期待以上のgiveを惜しまない姿勢。思わずみんながフレンドリーに接してしまうほど(笑)、後輩にも優しい姿。もちろんそれゆえに社内外からの信頼はとても厚いものがあり、その姿を見ながら隣で仕事ができたことは本当に恵まれていました。

私が大阪に帰ってきた初日に「どうすれば仕事を進めやすいのか」をヒアリングしてくださり、どんなに忙しくても私が質問をするたびに都度手を止めて私の腑に落ちるまで答えてくださった角川さんには本当に感謝でいっぱいです。

角川さんの部下になれてよかったです!また帰国されたらお肉食べに行きましょうね!

【EVENTレポ】堂島デザイン会議(2016/1/23)

昨年に引き続き、堂島デザイン会議に行ってきたので、レポを。

※記事内の写真は堂島デザイン会議公式サイト、堂島デザイン会議Facebookページ、ならびに主催者田中さんの投稿などから拝借しております。

 

▼昨年のレポ

 

堂島デザイン会議(http://dojimadesignkaigi.com/)は、主にクリエイターの方を対象としたイベント。

毎回新しいモノづくり・コトづくりに挑戦する若きトップランナーの方をゲストに招いて開催されています。

 

「堂島」とタイトルに付いてありながら、前回の開催場所は京都、今回の開催場所がなんばなのはちょいとツッコミたくなるポイントです(笑)昨日の会場はなんばパークス内にある家具屋さんでした!

 

▼会場だったHUGさん

 

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インテリアショップでイベントって、なかなか斬新。

会場の椅子にはソファーもちらほら。こんなに参加者に優しい椅子、なかなか無い。 

ただ、私は案の定慣れてないミナミで迷って到着が遅れてしまい、最後列だったのでソファーの恩恵には預かれませんでした(笑)

 

イベントは大盛況。

前売り券は完売、当日もこの人口密度。熱気がすごかったです。

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今回のテーマは、「セルフプロデュース!」

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ゲストはフリーランスPR/Web編集者の塩谷舞さんとクリエイティブディレクター/デザイナーの福嶋賢二さんでした。

イベントの構成は、お二人がそれぞれ経歴や実績、仕事へのスタンスについて話され、最後に質疑応答があるというもの。

 

 

まずは塩谷さんのターン。

塩谷舞さんは、1988年大阪出身。

京都市立芸術大学在学中にSHAKE ART!という団体を立ち上げ、関西の芸大生の横の繋がりを生み出し、アートとクリエイティブの情報発信をするフリーペーパーを刊行されました。大学卒業後は、上京しCINRA.NET(http://www.cinra.net/)を運営する株式会社CINRAに入社され、Webディレクターと広報として活躍。

昨年からフリーランスになられ、チーズタルトで有名なBAKE(http://bakecheesetart.com/)のオウンドメディア〝THE BAKE MAGAZINE〟を立ち上げられ運営中。

 

▼〝THE BAKE MAGAZINE〟

その他も漫画家さんなどのエージェントとしてPRやファン作りをサポートしている株式会社コルク(http://corkagency.com/)さんともお仕事されてたり、さまざまな媒体で執筆もされています。塩谷さん自身も「『セルフブランディング』というテーマで呼ばれているけれど、自分のテーマも肩書きも定まってない」とのこと。それだけ多彩。

 

そんな塩谷さんの根幹にあるのは「何かをするためにどう人を巻き込んでいくか、仲間につけるか」という姿勢。

スキルと知名度がある方だから一人でもできることは数多ありそうだが、塩谷さんは必ず何かをするときに仲間をまず見つける。しかもプロデューサー的な視点の持ち主のため、良きものを作るためにプロデューサーとディレクションに徹するような性格である。その原点は、演劇だ。

塩谷さんは、幼少時代から演劇をされていた。演劇は役者と裏方がいてはじめて成り立つもの。そしてその前提には脚本や音響、照明などさまざまな要素がある。その世界を知っているからこそ、強い個を集めて(あるいは個がそれぞれパワーアップして)自分の役割を果たす事でそれが調和し、100以上の力が、自分1人でやる何倍もの力が出せることを知っているのだと思う。そして、同時に観客の目も持っている。つまり「このプロジェクトはどう思われるのか」「どういった訴求が一番観る者を引きつけるのか」そういった観客視点の意識があるからこそ、「バズる」、言い換えると「それだけ多くの人間の心を揺さぶる」プロジェクトや文章を世に放てられるのだと思う。

 

大学時代、塩谷さんは「関西の美大生は情報発信力が弱いから、東京にナメられてる!というか、認識すらされていない!ちゃんと主張しないと息してないと思われる!」と危機感を感じる。そこで、SHAKE ART!というフリーペーパー発行を決意。

1人ではできない。仲間を募らなきゃいけない。

しかし、当時周りから「とっつきにくい印象を持たれていた」という塩谷さんは、「仲間を引っ張っていけるような引力のある人間に変わらないと!」と決意。ただ性格的に簡単に変われない部分もあったため、「キャラクターを演じよう」と決めたそう。

その際に「呼ばれやすく覚えられやすい名前」もひとつの武器だと思い、「しおたん」というあだ名を積極的に使うようになったそうだ。

「喋り掛けられやすく、周りが思わず助けたくなる人になろう」という気持ちは、そう決意されたとき以来ずっと持っておられるそう。仲間を見つけるための方法としては「誰も口にしてない共通のストレスを見つけて主張すること」ともおっしゃっていた。言葉にできないモヤモヤを誰かが言語化してくれたとき、人はその相手に付いていきたくなるんだという。

その他にも、仕事の相談が来たとき、「自分よりうまくできそうな人がいる仕事はどんどん相手に紹介していくことも信頼に繋がっている」という言葉も印象的だった。

 

塩谷さんは、ライター専業というわけではないが、「今現在Web上で熱量の高い文章を書ける人」というカテゴリがあれば間違いなくベスト3に入る人だと思っている。

そんな塩谷さんの記事は、いつも大きな話題になっている。

 

▼塩谷さんのブログ

 

ある程度Twitterをやっていて、Web界隈の方やライターさんをフォローされている方は間違いなくタイムラインで見かけたことがあるだろう。

これまでは「ぎりぎり炎上しない記事をテーマにやってきた」という塩谷さん。

しかし、先日更新されたこちらの記事は史上初めて炎上したという。

 

▼「メディアには影響力がなければいけない」

 

コンテンツマーケティングの流行、

オウンドメディア・ニュースサイトの乱立。

どこも「PV」と「バズ」と「たくさんのイイネ!」を追いかけている。

 

「PVを稼ぐのに一番手っ取り早いのは有名人への取材」といった背景から「取材させてください!」→「2-3時間相手の時間をいただいて取材」→「ライター乱立時代の世の中、文章がお世辞にも上手ではないライターが誤った文法などを使った記事を書いてリリース、拡散は取材対象任せ」といった循環もよく目に付くとのこと。そのとき感じた疑問と違和感と怒りを、真っすぐに詰め込んで業界に警鐘を鳴らしたのがこの記事だった。「反論や批判の声もたくさんあった」とのことだが、それ以上の共感も呼び、SNS上ではたくさんシェアされていた。 ※ちなみにしおたんさん自身は「取材されて自身をPRするよりも、取材する側に回りたい!」とおっしゃっていた。 

 

 

続いて福嶋賢二さんのターン。

福嶋さんは1982年滋賀県生まれ。

大学院への進学を考えていた折に「同じお金を出すのなら北欧に留学したら」という友人のアドバイスからスウェーデンへ留学。その後、喜多俊之氏(http://www.toshiyukikita.com/)に師事した後、4年前から独立してプロダクトデザインを中心としたお仕事をされています。

※驚いたことに、大阪には同年代のプロダクトデザイナーは福嶋さんを含めて5人しか居ないらしい。

 

ただ、プロダクトデザイナーと名乗ってはいるものの、「モノの見せ方、広め方の部分まで手伝ってほしい」という依頼が多いそうで、実質はグラフィックデザインから展示会出展の際のプロデュースまで行われていらっしゃいます。

 

福嶋さんの作品は、斬新だけどどこか懐かしさを感じます。

 

たとえば、こちら。

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※福嶋さんのサイト(http://www.kenjifukushima.com/)から拝借

 

これ、消しゴムのベストセラー「まとまるくん」だというのだからびっくり。

「25周年記念に大人用のまとまるくんを作りたい」という企業側の願いを叶えたプロダクト。こちらはロゴからパッケージ、そしてリーフレットまで福嶋さんが作ったそうだ。おしゃれ。このまとまるくん欲しい。

 

次に、こちら。

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※福嶋さんのサイト(http://www.kenjifukushima.com/)から拝借

 

こちらは「ボールペンでかける和紙手紙」

生み出すにあたっては、色んな産地の和紙を500-600種類揃えて、ひとつずつボールペンやゲルインクとの相性を確かめていったそう。今後はこのプロダクトをより活かすためのコラボ企画も構想されているそうです。

 

その他、京都のイラストレーターさんと共同で生み出したプロダクトとして、「お札がぴったり入る和紙袋」なども。

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※福嶋さんのサイト(http://www.kenjifukushima.com/)から拝借

 

発想がユニークで面白い。お年玉をもらったときに、すぐに何円かわかりますね(笑)

その他にも、「デザイナーの内輪にならないイベントを」といった思いから、昨年10月には神戸で「100人の日用品展」なども開催されている。

100人の日用品展

 

幅広いお仕事を手掛けられているだけあって、仕事の内容の中でデザインをする時間は1/3くらい、とのこと。他は販路開拓のための営業などに奔走されている時間が多いという。そういった視点から、「ガリガリとデザインだけをしたいのなら大きな企業に入った方がいい」ともアドバイスされていました。

 

そんな福嶋さんが独立当初に意識されていたのは、「東京でも、名古屋でも、呼ばれたらどこでも行く」ということ。それを見越して、独立1年目の交通費用に100万円を用意したそうです。また、理想から逆算する方式で、「半年に1回自分のギャラを上げていく」ということをずっと意識しているそう。「デザインの金額を下げて『安くで何でもしますよ』というスタンスでは、プロダクトデザイナーを目指す学生に夢を与えられない」という思いと、「フィーは信頼だし信用の証だから、金額を下げたらそこが揺らいでしまう。お互いにとってベストな仕事をするためにもギャラの交渉はしっかりとする」といった思いからだそうです。

 

プロダクトデザイナーさんというと、黙々と作ってらっしゃる口べたな方が多いような印象を持っていたのですが、芯を持ち、しっかりと主張をしながら、しかも茶目っ気と営業を欠かさない福嶋さんには、カリスマ性を感じました。

※プレゼンで時間が押してしまい「これで最後!」と出したスライドが間違えたスライドで、「あれ?」と言いながらスライドをめくってる際にプロダクトの紹介を挟んだり、最後には「こんなプロジェクトしましょ!」と塩谷さんやファシリテーターの方をメンバーとして構成した企画をスライドで出したりと、凝った演出で会場を沸かせていました(笑)

 

 

最後は、質疑応答のコーナー。

 

【塩谷さんへの質問】

■「言葉の引き出しを増やすために、あるいは良い文章を書くためにされている努力や勉強はしているか?」

→「流行のカタカナ・横文字や皆が使っているカッコいい言葉は使わないように心がけている。例えば食べ物に例えるなどして、できるだけわかりやすい言葉を使って表現しようとしている。」

 

■「取材をするときに相手の本音を引き出すために心がけてることは?」

→「相手の同業他社との違いを見つけること。また、そこに対してどんな意見・スタンスをその人・その会社が持っているのかも調べておく。たとえば、『あの会社と似てますよね!』って引き合いに出したところがバチバチの競合や相手の理想と異なるものだったら大変。私も『塩谷さんって〝キラキラ広報ブロガー〟ですよね!』って言われたら嫌だし。。。(笑)」

 

■「今までに一番バズった記事は?」

2chまとめサイトでも話題になったこの記事。

 

■「性格がひどく内向きな人間はどうやって生きればいいか?」

→「ひどく内向きな人もたくさんいるし、そんな人はインターネットにもたくさんいるし、そこに共感できるのも内向きな人だけ。内向きサービスとかも需要がある。外向きが全てだ!ってわけじゃないので、そのまま内向きを極めて生きてください!」

 

 

【福嶋さんへの質問】

■「学生の頃にやっておいてよかったことは?」

→「他の学科・学年・学校の方とつながってたこと。いろんな人と知り合っていたら、何に困ったとしても誰かに相談できる。」

 

■「キャラ作りしてますか?」

→「まったく意識していない。自分の色は無いと思ってるし、クライアントさんに合わせて変えている。問題解決ができて、いいモノが作れて売れれば、自分のキャラはなんでもいい」

 

【2人への質問】

■「著名じゃなかった頃どうやって会いたい人と会っていた?」

→塩谷さん「ライターの仕事のきっかけは、面白法人カヤックhttp://www.kayac.com/)のイベントに行ってイベントレポートをまとめたこと。名刺交換などをしてもなかなか覚えてもらえないので、自分の出来ることで相手にうまみを提供する事が大事。」

 

▼そのときの記事がこちら

 

→福嶋さん「講演などに行った際には名刺交換をして、後で手紙を書くこと。何かを作ってる方や会社に見てもらいたいときには、提案や自分が作ったものを作って持って行く。」

 

■お二人にとってのセルフプロデュースとは?

→塩谷さん「『あやかった分は返す』PRは、媒体や有名な方にあやかることが多いもの。そこで借りた恩はその分相手に残るものを返すべし」

 

→福嶋さん「『相手を思いやること』プロダクトデザインは、クライアントの思いがあってこそ。相手が無いと何も生まれないし、相手とどうやってコミュニケーションをとっていくかが大事。」

 

  

かたや「受注から記事リリースまで一週間なこともある」Web、かたや「デザインからリリースまで1年以上掛かることもある」プロダクトデザイン。

色は違っても、「セルフプロデュース!」の極意に「相手・他者の存在」を共通して挙げていたお二人だからこそ、周りの人に愛され信頼され、ひとりで何かを進めていく以上の大きなインパクトを生み出していくことができているのだなあと思いました。

 

最近の私をかいつまむと

1月、いい感じで寒くなってきましたね。

こんなに冬が暖かかったら春が失われて4月くらいから夏が始まるのではないだろうか、なんて危惧してた私には朗報です。

 

さて、久々にブログを書こう、なんか書こう、と思っていたのですがうまいことネタが降臨してこない。話が広げられない。うんうん唸って考えてたけれど、出ないときに無理矢理振り絞って書いても薄っぺらい記事しか書けないので、いったん寝かせることに。

かといってこんだけ唸ったのに何も書かないのもヤダなあ、ってことで、ちょびっと自分の近況をば。

 

 

■ここ数日のこと

母が休暇を使って関西に遊びに来ていた。

最終日の今日、「どこ行きたいん?」という問いに対して母の口からリクエストとして出て来た「京都水族館」へ行ってきた。

水族館なんて何年ぶりだろう。高校の修学旅行で行った美ら海水族館以来?なんてドキドキびくびくしながら足を踏み入れたけど、結構楽しめた。

中でも私はオットセイの泳ぎに魅了された。いやー、気持ち良さそうに泳ぐのよ、彼ら。

 

んで、メインイベントとしてやってたイルカショーを最後に見た。もちろん、イルカ可愛かったし賢かったんだけど、私が一番胸打たれたのは最後にトレーナーのお姉さんが言い放った台詞。

 

「私たちトレーナーは、これだけの方が見てくださっている以上、いいパフォーマンスを見せたいと毎回思っています。でもイルカは、パフォーマンスがうまくいくかどうかなんて気にしていません。彼らにとって大事なのは、今楽しいかどうかなのです。だから、私たちトレーナーはどうやって彼らを楽しませ続けよう?と考えながら日々接しています。」

 

いや、もう泣けたよね。なんか。

イルカの哲学のなんてシンプルで美しいこと。ちょっとウルってきたわ。

 

 

■やってること①

去年の年末、会社の先輩と飲みに行った。

その方は本当天才的に面白い方で(周りみんながそう認めてるのに「自分は凡人だ。何も持っていない。」と言い張っているところがほんまの天才、という感じがする)わたしが敬愛している先輩なんだけれど、美味しいお酒とごはん片手にいろいろと話してる中で、先輩が去年色彩検定に挑戦し合格したことを知った。それで、今年はその上の級の取得を目指してるらしいんだけど、受験が6月でまだ結構時間があるので、それまでの埋め合わせもかねて2月に漢字検定を受験する、ということも知った。それを聞いて、私の中の何かがロックオン。「私も受けます!」そう言って、気がついたら申し込んでたよ、漢字検定。しかも「◯○さんが2級を受けるのなら、私は準1級を受けます!」なんて余計な尾ひれを付けて。

 

でね、気がついたらね、受験日もうすぐなんです。2月7日。

でもね、テキストはびっくりするくらい進んでないんです。

 

いや、2級までだとなんとなく日常生活で見聞きする字が多いからなんか覚えやすいんだけれども、準1級の顔ぶれ見たら、「いや、あんただれ?平成の世になってから誰かがこんな言葉使ったことある?」っていうようなのがまあわんさか出てきまして。実用性とか即効性を感じられないと学習が身に付きづらい私の性格と、まるで水と油のようにせめぎあっているよ。

 

合格率10%ちょっとらしいし形勢は完全不利だけど、と、と、とりあえず当日までがんばりやす。

 

 

■やってること②

去年11月から宣伝会議主催の編集・ライター講座に通ってる。ほぼ毎週土曜日午後の時間をまるまる遣う半年間の講座。投資した費用はかなり高額。けれど、すでにその価値を十分に感じている。

講師の方は主に京阪神地域で活躍されている編集者さん・ライターさん。講義では心構えからノウハウ、裏話までかなり多岐のことを話してくださる。周りの受講生も、そうした職を志している方から、今やっているお仕事の幅を広げるために受講されてる方、あとは現役の編集者さん・ライターさんまでさまざまで面白い方が多い。

 

「どんなに優秀な方から良いお話を聞いても、優秀なメンバーに囲まれても、結局力を付けられるかは自分しだい」ということが一番の学びだったし、これからもそれを痛感していくと思う。だからこそ、実践・実践・実践に限るね。

 

毎回参加するたびに、自分は何が好きなのか、何をしたいのか、を思い出させてくれる。

それに、「面白い!」「悔しい!」「カッコワルい!」みたいな感情を、いっぱい揺さぶられるのだ。

課題出題のペースと量が増え、いい感じにちょっと大変になってきた。認められれば実際に媒体で書くチャンスも与えてくれたりと恵まれた環境なので、力の試されどころ、がんばりやす。

 

 

■やること

小説書きます。3月末締め切りの賞に応募します。

だがしかしかけてない。①と②に振り回されてるうちに。

なので割り切った。漢検が終わる2/7までは書かない。ネタだけストック。そして、1ヶ月半で書き上げる。

コレに関しては、クオリティどうこうでなく久々に小説を一本書ききって送ったった!!ということの方が自分にとってのまずミッションやから、つべこべ言わず頑張る。

 

 

他、ブログとリンクするようなネタを仕込んではいるのだけど、形にするにはかなり時間のやりくりを考えないとな、といったところ。こちらはちょい出しで。

 

 

 

一部だけど、こんな感じ。

というわけで、今年は頭ん中でいろいろ考えるんじゃなくて、作業します。行動します。形にします。ニュータイプの私になります。ぜい。

『あなたとわたしの話をしよう』

久々に地元へ長い帰省をして、今日大阪へ帰って来た。安心感すごい。もうどっちが故郷だかよくわかんない。

 

実家では食事・洗濯・掃除に関しては何もしなくても与えられる環境で過ごし、友達との再会もたくさんあった。ローカルな遊園地で年を越したり、丑三つ時に初詣に行ったり、初日の出を見たことはいい思い出だ。地元の町は、自然に恵まれている。中でも、海はすごい。海岸線をドライブするのは、好きだ。(わたしはペーパードライバーなので、いつも助手席から見るだけだけど)

 

 

でも、やっぱり地元の町には、わたしがあの町を飛び出したくなった原因にあたるものが、たくさん転がっていた。

 

誰々が結婚しどこで働いてるという話、近所の誰々さんは病院に通ってるよという話、町を徘徊する変な人がいるよという話、テレビに映る芸人の揚げ足取り。少し調子を合わせつつも、そんなノイズが溢れていて、耳を塞ぎたくなった。

 

皆の会話の主語はいつも、「あの人」だ。

 

自分自身が、

何をしているのか

何を感じているのか

何に悩み、どうしたいのか

そんな会話をすることは、かなり少ないかもしれない。

 

 

あの人のことを話すのであれば、

テレビの話をするのであれば、

 相手は誰だっていいはずだ。

 

 

あの町には、ある種の共通の価値観が流れている。万人に信じられている幸せの方程式みたいなのが合って、なにかとそこの枠組みにはめようとする。その枠に入らない人は、変わり者と指を指されるし、幸せになれないよと鼻で笑われる。笑ってる本人は、他人を笑う暇があるくらいには退屈なのに。

 

そーゆー大きな流れや、その他多くの窮屈なものに耐えられなくなったのが中学のときで、そこから一刻も早く脱出しようと思っていた。そして、大学入学と同時に関西に来た。

 

関西には、地方から出てきた友人もたくさんいた。最近の同年代は家族を大事にする世代なのか、「一度は出てきたけど、将来は地元で恩返ししたい」「地元を盛り上げたい」「結婚してからは、地元で親の近くで住みたい」と言う子も多くいる。そんな温かい言葉を聞くたび、「ああ自分は彼らとは違うなあ」と感じる。わたしは、故郷を愛せなかったから、あの町でいると窒息しそうだったから、逃げてきたような、生まれ育った町を捨てたような、人間だからだ。

 

 

 

 

わたしは、もっと『あなたとわたし』について話したい。

そして、語れるわたしを持ちたい。

だから、都会でもがくことを選ぶんだ。

 

 

 

年に2回か、多くて3回帰省する。

あの町に帰るたび、わたしは今其処から離れた街で暮らし、働き、もがいている自分の存在意義を確かめているのかもしれない。

2016年は、心のままに。

あけましておめでとうございます。

2016年もよろしくお願いいたします。

 

 

普段テレビを見ない性分だからなのか、正月といえど何時間もテレビの前にかじりついていることができず、映画に逃げた年末年始だった。

といっても、映画こそ殆ど観ない。一般常識欠けてて普通に叱責受けそうなくらい、メジャーなものも観てないし、映画館に足を運ぶことなんて年に2回あるか無いかくらいだし、DVDも借りないし。落ち着きが無いからなのか、1時間半~3時間ほど画面に夢中になれる集中力が無かったりして、なんだか仲良くなれなかった。それが映画。

でも、なんかわからないけどこの年末年始は観たくなって、4本観た。どれも最高だった。

 

『セッション』

なんか色々賞も獲ってて話題になってた洋画。なんか、とにかく痛々しいほどに真剣で厳しいシーンがたくさんあったから、あったかい気持ちになりたいとき(なってるとき)は向いてないけど、自分に喝を入れたいときにはおすすめです。あと、ジャズが好きなので楽しめた。ジャズドラムしたいよー。しゃんしゃんシンバル鳴らしたい。

 

『しあわせのパン』

とにかくあったかくなる映画。最近異常に涙腺の弱い私は何度もおいおい泣いた、人に見られたら引かれるレベルで。頑張ることにつかれたとき、少し心がしおれてるとき、優しい気持ちになりたいとき、大切な人といる時間に観てほしい作品。

 

『グッド・ストライプス』

菊池亜希子さんが出てるから観た。主人公が菊池さんの実際の性格わりとそのままなんじゃないかなって感じの女性でハマり役だったし、何個かのカテゴリに女性を分けたとして、私もたぶん同類にカテゴライズされそうな主人公の話だったので、そんなに人ごとに思えず共感もしつつ楽しめた。「理想を求めすぎて結婚がなかなか出来ない女性に向けている等身大の結婚を描いた作品に」的なメッセージを監督が込めている、と何かで見た。まさしくそんな感じだし、マリッジブルーの方などはぜひ。

 

『百円の恋』

女優・安藤サクラの勢いに終始圧倒された。ほんとカッコいい。役のために、あれだけ体を張れる女優が果たして他にいるだろうか。新井さんも超ハマり役だったけど。いい俳優さん・女優さんのお芝居を見ると本当に満たされる。大学入って間もない頃にもしこの作品が公開されてて観ていたら、私は安藤サクラに憧れてもっと長く演劇を続けていた気がする。

 

 

ずっと見たかった作品ばっかりだったからかもしれないけど、観終わった後の幸福度ハンパ無かった。なんとなく、今年は人生の中で一番映画を観る年になるような気がしている。

 

 

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今年は、久々に新年を迎えるにあたってかなり心が躍った。

この感覚は5年ぶりくらい。ちなみに、前回その年は最高の1年になった。

あのときより翼は少し重くなった気がするけど、自分に期待したい。

初詣で引いたおみくじも、10回ぶりくらいにいい結果が出た。もう、今年は引かないでおこう。

 

信心深い人間というわけではないけれど、占いはわりと見てしまう。

 

去年知ってから面白いなと思って見てしまうのがこの占い。

voguegirl.jp

 

そして、もう5年来、毎日・毎週・毎年愛読している石井ゆかりさんの占い年報ver.。

2016年の星占い

 

 

不思議なことに、どちらも似たようなことを書いてあった。

 

・自分に必要なものとそうでないものをしっかり吟味・分別せよ

・我慢や不安や義務感は要らない、それに心が覆われているのなら、その状態は正常じゃない

・思いっきり、自分のためになることをせよ

 

 

胸にスーッと入ってきた。

掌の中にある幾つかを捨てられたなら、新しい風が私の中に吹き抜けるかもしれない。

その風を待っている自分自身が居る。

 

 

2016年、いいことばっかりではないと思う。

アクシデントもハプニングもいろいろあるかもしれない。

でも、たくさんの人やモノや気持ちとの出会いと変化に恵まれる年になりますように。

そして何より、たくさん感動できる年になりますように。

2015年に学び取った10のこと

先週金曜日で仕事納めとなり、田舎に帰省しています。

半年前まで繋がらなかったWi-Fiが繋がり、完全に勝者の気分です。インターネット万歳。

 

さて、2015年も今日を含めて4日で終わり。

iPhoneのメモの整理をしていると、ちょうど去年の今頃に書いた「2015年にやりたいこと」の記録が出てきました。全然出来てないことだらけで、かつ今の私が「2016年にはこれやりたいな」と思ってることとかぶってたりもして、寒気がしました。おい、2015年の私は何をやってたんだよと。

 

たしかに、2015年は個人的にあまり良い年ではなかった気がする。かなり後悔も多いし。でも、こうやって改めて突き付けられるとやはりコタえます。

でも、もしかしたら、毎年この繰り返しなのかもしれない。「来年こそは」「次こそは」「これが終わったら」そんな枕詞を付けることで、現状と向き合うことから逃げているのかも。そんなことを考えていたら、心がまずまず曇ってきました(笑)

 

なので、あまり肯定できない2015年を思い返しながら、この1年で私は何を知ったんだろう、何に気付いたんだろうと振り返ってみようと思います。

 

 

1、好きを深めることって楽しい。

2015年は、「好き」に素直になれた年だと思う。自分が興味を持ったもの、惹かれたものにハマっていくことの楽しさを知れた。

 

たとえば、

 

■工場夜景

四日市の工業地帯まで観に行った。

無骨な彼らが艶めかしく輝く姿が本当に美しかった。(←ちょっと変態っぽいけど)

あとは、工場じゃなくても、普通の夜景やイルミネーションも好きになった。

昔は、夜も夜景も好きじゃなかったのに。

人生経験を重ねる中で、自分の価値観が変わるのがおもしろい。

 

■珈琲

珈琲屋さんが実施されているペーパードリップ講座で、豆を挽きドリップをして自分の一杯を淹れる楽しさと奥深さを知った。まだ上手く淹れられないけど。

珈琲屋さんで買ってきた豆を瓶に開けたとき、ふわっと広がるあの豆の香りを嗅ぐと、とてつもなく癒される。

 

クラフトビール

夏から自分でも驚くほどハマってしまったこいつ。

aoitorisorae.hateblo.jp

季節が巡り冬になってもその興味は衰えない。クラフトビールを飲みながら、他愛ない会話をしてる時間が本当に好き。

 

 

これらは一端だ。

他に、昔から大好きだった野球の観戦に今年は多く足を運んだり、好きなアーティストのLIVEには欠かさず参加したりと、好きに対して突進することは心がけた。

好きが持つパワーはすごい。心を掻き立て、前へ前へとポジティブなパワーで進めてくれる。

 

 

2、苦手なことはとことん苦手

主に仕事を通して感じたことだけど、嫌いなことや意味を感じられないことなんかに対しての取り掛かりが遅く、そしてアウトプットのクオリティが低い。通知表でいうと、1-2個は5があって、3つくらいは4で、残りのやつもどうにか3のラインには乗せられる方だと思ってたけど、そうじゃないらしい。2以下みたいだ。意味とか目的が自分の中で腹落ちしているか、もしくは単純にその作業とかそれそのものに夢中になれるかのどちらかでないと、いいパフォーマンスができないって改めて知った。だから、今後は自分の良さや好きを伸ばす方に時間を遣いたい。

 

 

 

3、あたりまえができる人に付いていきたい

これも仕事その他で本当に感じたことだけれど、私は一緒に何かをする人やリーダーに対して「ありがとうとごめんなさいが言えること」を求めるんだって気付いた。人としての基本、当たり前のようなことだけれど、特に苦しい場面や忙しいときはなかなか難しかったりする。それに、なぜか直接は言わずソーシャル上で言ってる姿を見かけてなんか萎えたこともあった。それはきっと、その人に向けたものじゃなくて、感謝してる自分に酔ってるだけに見えたから、反面教師にしようとしっかり胸に刻ませてもらった。あたりまえが欠けている人には、どんなにその人が優秀だろうと付いていきたいと思えない。

 

 

 

4、健康はあたりまえじゃない

人生で初めて受けた乳がん検診で要精密検査と診断された。

 

幸いがんではなかったけれど、次の検査のときにはどうなっているかなんてわからないし、テレビの向こう側の出来事だと思ってた病気が、今の自分とも背中合わせだってことに気付いた。自分は大人になんてならないって思い込んでたあのときから20年近くのときが経ち、私は確実に人生の終わりの方に向かって少しずつ歩みを進めているんだって感じた。

 

 

5、インプットもアウトプットも少ない→つまらない人間に

今年はインプットもアウトプットも少なかった。ゆえに、とりあえず自分おもんない!ってとても感じた。確かに時間が無かった時期もあるけれど、毎日が切羽詰まってるわけじゃないし、いつも終電まで働いているような方に比べると平日もたくさん時間がある。詰め込んで詰め込んで、そして出して出して表現して、そんな活動を来年は息を吐くようにしたい。

 

 

6、貯金は大事

あれだけ何も考えず、お金を使いまくっていた私が、未来の自分のために貯金とお金の流れ方を意識することを始めた。月によって出費も違うので貯金額は変動するけれど、無理の無い範囲で継続して貯金することができた。結局、秋から通い始めた講座で貯金をはたいたためまた振り出しに戻った感あるけど、自分の中で明確な貯金をする目的と期限が決まったので、またこっから。でも、飲みに行くのも美味しいお店に行くのも好きだからな、、、今年はもう少しバランス良く貯金するぞ。

 

 

7、飛び込む勇気。でもそこから。

11月に、編集・ライター講座の門を叩いた。一流の講師の方が、編集・ライター周りの仕事の進め方から企画の立て方まで教えてくださり、実際に自分のアウトプットを添削までしてもらえるとても恵まれた場所だ。周りも、すでにそういったお仕事をされている方が多く、発想が斬新で勉強になる。けれど、ここに入ったから文章が上手くなるわけでも、企画を立てられるようになるわけでも、そういった仕事に就けるわけでもない。あくまで、利用出来る環境の幅が広がったくらいだろう。新しい場所へ飛び込むには勇気が要る。だから、飛び込んだだけで何かを成し遂げたと錯覚しかねない。けれど、大事なのはそこでどんな気持ちで何を掴むか。まだスタートラインに立っただけ。それは、今後どんな場面でもいえることなんだろう。

 

 

8、将来変わるのではない、今変えるのだ

7の話とも関係してくるけれど、人間は未来の自分に大きな期待を懸ける。少なくとも私はそうだ。「来週の自分」に仕事を投げたり、「来年の自分」にずっとやりたかったことをやってねと頼んだり、「10年後の自分」に大きな夢を託したり。でも、私が思ってるほど未来の自分は強くも凄くもない。だって、それは今の私の延長線上の自分だから。

「いつかこうなるといいな」と将来が変わることを望むのではなく、「今、自分は何をしよう」と自ら変えないと、なんにも変わらないまま年だけを取るんだ。

今年25歳の誕生日を迎えて、これまでより余計に自分を変えるリミットが限られてきたような気がして、とにかく焦っている。人生に、何かを始めるのに遅すぎることはなくとも、ずっと変えたいと思っていることを変えたり、長くやりたかったことを実行に移すにはもうあまり時間が残されていない気がする。

 

 

9、継続と習慣

過去に戻りたいとは思わないけれど、昔の自分の中で尊敬している部分は幾らかある。その中で共通しているものの一つが、とにかく決めたことを淡々と継続していること、そしてそれがいつぞや転化して自分の習慣となり、血肉になっていたことだ。中学生のときには、部活から帰ってきて1時間以内に宿題を終わらせ、最低30分間は小説を書いて、当時大好きだったTVタイムに移っていたし、大学最後の2年間で100人をインタビューできたのも、朝のコンビニ勤務で鍛えた固定された起床時間(当時は基本5時で遅くとも6時)が、活動できる時間をたっぷり担保してくれたからだ。なまけものだから、できるだけ何も考えず、淡々と作業に移るように、習慣化のしくみを整えよう。

 

 

10、力になりたい人はわずか

友人には恵まれてる方だと思う。けれど、その中で本当の友人って何人居るだろう。誰だろう。どんな人なんだろう。そんなことも改めて考えさせられた年だった。

極限につらいときやしんどいときに話を聞いてもらいたくなる人、多少自分がしんどくても時間を割いて支えたいと思える人、そしてお腹の底から喋れて安心できる人。そんな人って、実はほとんどいないから。人間関係のドタバタも少し経験した年だったからこそ、自分にとって大事な人がより明確に見えてきたと思う。

 

 

 

最後の方はなんだか精神論ぽくなったけど、こうやってまとめてみると学び取ったことは多かった年だなあと気付いて、ちょっとだけ心が軽くなった。何をしたかも大事だけど、何を感じたのかはもっと大事。2016年も、今年の反省を生かした上で行動して、たくさん心動く年になりますように。

お知らせ〜ブログ再統合〜

こんばんは。

 

なんやかんやの諸事情から、下記のブログに移行してちょこちょこ更新してましたが、またこちらに戻ってきました。一本化します。

 

▼最近更新してたやつ

なので、こっちを見てくださいね。

 

更新は来年以降になりそうですが、色々企画は自分の中で動いてます。

今までやりたくてやれてなかったこと、今までの自分だったら手を出さなかったこと、できるべくしてできる企画、もろもろあります。

妄想だけでも楽しいのですが、形にしていきます〜

 

お楽しみに。