2015年に学び取った10のこと

先週金曜日で仕事納めとなり、田舎に帰省しています。

半年前まで繋がらなかったWi-Fiが繋がり、完全に勝者の気分です。インターネット万歳。

 

さて、2015年も今日を含めて4日で終わり。

iPhoneのメモの整理をしていると、ちょうど去年の今頃に書いた「2015年にやりたいこと」の記録が出てきました。全然出来てないことだらけで、かつ今の私が「2016年にはこれやりたいな」と思ってることとかぶってたりもして、寒気がしました。おい、2015年の私は何をやってたんだよと。

 

たしかに、2015年は個人的にあまり良い年ではなかった気がする。かなり後悔も多いし。でも、こうやって改めて突き付けられるとやはりコタえます。

でも、もしかしたら、毎年この繰り返しなのかもしれない。「来年こそは」「次こそは」「これが終わったら」そんな枕詞を付けることで、現状と向き合うことから逃げているのかも。そんなことを考えていたら、心がまずまず曇ってきました(笑)

 

なので、あまり肯定できない2015年を思い返しながら、この1年で私は何を知ったんだろう、何に気付いたんだろうと振り返ってみようと思います。

 

 

1、好きを深めることって楽しい。

2015年は、「好き」に素直になれた年だと思う。自分が興味を持ったもの、惹かれたものにハマっていくことの楽しさを知れた。

 

たとえば、

 

■工場夜景

四日市の工業地帯まで観に行った。

無骨な彼らが艶めかしく輝く姿が本当に美しかった。(←ちょっと変態っぽいけど)

あとは、工場じゃなくても、普通の夜景やイルミネーションも好きになった。

昔は、夜も夜景も好きじゃなかったのに。

人生経験を重ねる中で、自分の価値観が変わるのがおもしろい。

 

■珈琲

珈琲屋さんが実施されているペーパードリップ講座で、豆を挽きドリップをして自分の一杯を淹れる楽しさと奥深さを知った。まだ上手く淹れられないけど。

珈琲屋さんで買ってきた豆を瓶に開けたとき、ふわっと広がるあの豆の香りを嗅ぐと、とてつもなく癒される。

 

クラフトビール

夏から自分でも驚くほどハマってしまったこいつ。

aoitorisorae.hateblo.jp

季節が巡り冬になってもその興味は衰えない。クラフトビールを飲みながら、他愛ない会話をしてる時間が本当に好き。

 

 

これらは一端だ。

他に、昔から大好きだった野球の観戦に今年は多く足を運んだり、好きなアーティストのLIVEには欠かさず参加したりと、好きに対して突進することは心がけた。

好きが持つパワーはすごい。心を掻き立て、前へ前へとポジティブなパワーで進めてくれる。

 

 

2、苦手なことはとことん苦手

主に仕事を通して感じたことだけど、嫌いなことや意味を感じられないことなんかに対しての取り掛かりが遅く、そしてアウトプットのクオリティが低い。通知表でいうと、1-2個は5があって、3つくらいは4で、残りのやつもどうにか3のラインには乗せられる方だと思ってたけど、そうじゃないらしい。2以下みたいだ。意味とか目的が自分の中で腹落ちしているか、もしくは単純にその作業とかそれそのものに夢中になれるかのどちらかでないと、いいパフォーマンスができないって改めて知った。だから、今後は自分の良さや好きを伸ばす方に時間を遣いたい。

 

 

 

3、あたりまえができる人に付いていきたい

これも仕事その他で本当に感じたことだけれど、私は一緒に何かをする人やリーダーに対して「ありがとうとごめんなさいが言えること」を求めるんだって気付いた。人としての基本、当たり前のようなことだけれど、特に苦しい場面や忙しいときはなかなか難しかったりする。それに、なぜか直接は言わずソーシャル上で言ってる姿を見かけてなんか萎えたこともあった。それはきっと、その人に向けたものじゃなくて、感謝してる自分に酔ってるだけに見えたから、反面教師にしようとしっかり胸に刻ませてもらった。あたりまえが欠けている人には、どんなにその人が優秀だろうと付いていきたいと思えない。

 

 

 

4、健康はあたりまえじゃない

人生で初めて受けた乳がん検診で要精密検査と診断された。

 

幸いがんではなかったけれど、次の検査のときにはどうなっているかなんてわからないし、テレビの向こう側の出来事だと思ってた病気が、今の自分とも背中合わせだってことに気付いた。自分は大人になんてならないって思い込んでたあのときから20年近くのときが経ち、私は確実に人生の終わりの方に向かって少しずつ歩みを進めているんだって感じた。

 

 

5、インプットもアウトプットも少ない→つまらない人間に

今年はインプットもアウトプットも少なかった。ゆえに、とりあえず自分おもんない!ってとても感じた。確かに時間が無かった時期もあるけれど、毎日が切羽詰まってるわけじゃないし、いつも終電まで働いているような方に比べると平日もたくさん時間がある。詰め込んで詰め込んで、そして出して出して表現して、そんな活動を来年は息を吐くようにしたい。

 

 

6、貯金は大事

あれだけ何も考えず、お金を使いまくっていた私が、未来の自分のために貯金とお金の流れ方を意識することを始めた。月によって出費も違うので貯金額は変動するけれど、無理の無い範囲で継続して貯金することができた。結局、秋から通い始めた講座で貯金をはたいたためまた振り出しに戻った感あるけど、自分の中で明確な貯金をする目的と期限が決まったので、またこっから。でも、飲みに行くのも美味しいお店に行くのも好きだからな、、、今年はもう少しバランス良く貯金するぞ。

 

 

7、飛び込む勇気。でもそこから。

11月に、編集・ライター講座の門を叩いた。一流の講師の方が、編集・ライター周りの仕事の進め方から企画の立て方まで教えてくださり、実際に自分のアウトプットを添削までしてもらえるとても恵まれた場所だ。周りも、すでにそういったお仕事をされている方が多く、発想が斬新で勉強になる。けれど、ここに入ったから文章が上手くなるわけでも、企画を立てられるようになるわけでも、そういった仕事に就けるわけでもない。あくまで、利用出来る環境の幅が広がったくらいだろう。新しい場所へ飛び込むには勇気が要る。だから、飛び込んだだけで何かを成し遂げたと錯覚しかねない。けれど、大事なのはそこでどんな気持ちで何を掴むか。まだスタートラインに立っただけ。それは、今後どんな場面でもいえることなんだろう。

 

 

8、将来変わるのではない、今変えるのだ

7の話とも関係してくるけれど、人間は未来の自分に大きな期待を懸ける。少なくとも私はそうだ。「来週の自分」に仕事を投げたり、「来年の自分」にずっとやりたかったことをやってねと頼んだり、「10年後の自分」に大きな夢を託したり。でも、私が思ってるほど未来の自分は強くも凄くもない。だって、それは今の私の延長線上の自分だから。

「いつかこうなるといいな」と将来が変わることを望むのではなく、「今、自分は何をしよう」と自ら変えないと、なんにも変わらないまま年だけを取るんだ。

今年25歳の誕生日を迎えて、これまでより余計に自分を変えるリミットが限られてきたような気がして、とにかく焦っている。人生に、何かを始めるのに遅すぎることはなくとも、ずっと変えたいと思っていることを変えたり、長くやりたかったことを実行に移すにはもうあまり時間が残されていない気がする。

 

 

9、継続と習慣

過去に戻りたいとは思わないけれど、昔の自分の中で尊敬している部分は幾らかある。その中で共通しているものの一つが、とにかく決めたことを淡々と継続していること、そしてそれがいつぞや転化して自分の習慣となり、血肉になっていたことだ。中学生のときには、部活から帰ってきて1時間以内に宿題を終わらせ、最低30分間は小説を書いて、当時大好きだったTVタイムに移っていたし、大学最後の2年間で100人をインタビューできたのも、朝のコンビニ勤務で鍛えた固定された起床時間(当時は基本5時で遅くとも6時)が、活動できる時間をたっぷり担保してくれたからだ。なまけものだから、できるだけ何も考えず、淡々と作業に移るように、習慣化のしくみを整えよう。

 

 

10、力になりたい人はわずか

友人には恵まれてる方だと思う。けれど、その中で本当の友人って何人居るだろう。誰だろう。どんな人なんだろう。そんなことも改めて考えさせられた年だった。

極限につらいときやしんどいときに話を聞いてもらいたくなる人、多少自分がしんどくても時間を割いて支えたいと思える人、そしてお腹の底から喋れて安心できる人。そんな人って、実はほとんどいないから。人間関係のドタバタも少し経験した年だったからこそ、自分にとって大事な人がより明確に見えてきたと思う。

 

 

 

最後の方はなんだか精神論ぽくなったけど、こうやってまとめてみると学び取ったことは多かった年だなあと気付いて、ちょっとだけ心が軽くなった。何をしたかも大事だけど、何を感じたのかはもっと大事。2016年も、今年の反省を生かした上で行動して、たくさん心動く年になりますように。