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【About you】♯104 おといさとこ

 

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■Basic Data

名前:おといさとこ

生年月日:1976年7月25日

 

■Interview

―まずは現在のお仕事について教えてください。

旅行関係のパンフレットを制作する仕事をしています。旅行プランの情報をまとめたり、コピーを書いたりといったことですね。転職して5ヶ月なのですが、前職は旅行系の広告代理店でのお仕事だったので、今制作しているようなパンフレットを企画・編集するお仕事でした。やりがいはあったのですが、今の仕事の方が自分には合っている気がしています。それに、前職時代はとても忙しくて土日もずっと仕事のことで頭がいっぱいだったのですが、転職して以前より時間に余裕ができて、ブログを更新したりと趣味を満喫できています。

blog.goo.ne.jp

 

―なぜ転職しようと思ったのですか?

今は正社員で雇ってもらってるのですが、前の会社では契約社員だったんです。もともとは短期の派遣で入って、そこから契約社員になりました。正社員採用試験を一度受けたのですが結果はダメで、「年齢的にも、正社員を目指すのであれば課長になってくれないと」と言われていました。課長になったら、パンフレットの制作には携わりません。やることは、社員の管理だったり数字をはじいたり。苦手意識を持っていたなりに通信教育を受けたり色々経営関係の勉強に手を出してみたのですが、どうもしっくりきていませんでした。そんなときに、ドラッカーの本を読む中で今までの自分のキャリアの棚卸しや目標について再度考える機会があったのですが、それをする中で「やっぱり自分がしたいことはこっちじゃないな。制作側でいたいな」と感じたんです。そんな時、祖母の介護問題が起きて、前職の仕事との両立の難しくなり、退職させていただきました。

 

―私がおといさんに出会ったのは「編集・ライター講座」を通じてですが、ということは、ちょうど転職前後の時期から講座を受講されてたのですね。

そうなんです。色々迷っていたときに、「再就職するにしても、クリエイターで仕事したいなら何かしら準備をしておかないと!」と思った一環で申し込みました。実は、受講料を振り込んだ翌週には転職先が決まったのですが(笑)、転職後はライティングをメインでやるので良い勉強の機会だと思いました。特に講座の中で役に立ったのは、Webライティング系の講義です。今までも今も関わっているのは紙媒体ですが、Web媒体にはとても大きな可能性を感じていたので、学びが新鮮でしたし、授業で習ったことは早速ブログにも取り入れています。あとは、印刷系の講義ですね。とてもわかりやすく解説してくださって、前職時代からの謎が解けてとても感動しました!

 

―書くことは昔から好きだったんですか?

はい。幼稚園の頃から自分で物語を書いてました。あと、小学校のときに、自分で物語を作ってクラスで発表する授業があったんですが、そのときに先生がすごく褒めてくださったのも嬉しくて余計ハマっていった気がします。それからも、中学のときは小説を書いてクラスメイトに読んでもらったり、高校では文芸部に入部して小説や詩を書いたりしていました。

あと、うちの高校では文化祭的なイベントの中で演劇をしなきゃいけなかったんですけど、そこでは脚本を担当しました。私はもちろん、役者をしてた子も人前で演じることに楽しみを覚えてしまって、卒業してからもOB・OG枠で出演し続けていました(笑)

 

―それはすごいですね(笑)乙井さんは脚本家を目指してたんですか?

実は目指していたのは演出家だったんです。受験が迫って進路をどうしようかと考えたときに、演出を学べる学校が東京の私立大学しか無くて、親には「国公立大学しか行かせられない」と言われていたので諦めていました。けれど、結果的に国公立に受からなかったので、必死にプレゼンテーションして(笑)、地元・大阪の芸大の文芸学科へ進学させてもらいました。そこなら戯曲なんかも習えたからです。

  

―演出家を目指したのはどういうきっかけからだったんですか?

高校1年生のときに、宝塚歌劇団の「華麗なるギャツビー」を観劇して、そこで「こんなかっこいい舞台が作れるのか!」って感動したんです。原作を読んでから観に行ったのですが、原作ではわかりづらかったことがすごく壮大になりながらもわかりやすく表現されていたし、何より舞台の転換がすごくかっこよくて(笑)それが演出に興味を持ったきっかけです。

 

―ロンドンに留学されてたことがあると伺いましたが、それも演出の勉強をするためだったんですか?

そうですね。大学に入ってからはとにかく海外の舞台を観たくてしょうがなかったのでバイトしてお金を貯めてはブロードウェイかロンドンに行っていました。その中でやっぱり海外で演劇の勉強がしたいと思うようになったのですが、金銭面などの事情もあって「一旦就職して3年間お金を貯めて飛ぼう!」と決意しました。結果、1年半で早々と辞めてしまうのですが(笑)

 

―なぜブロードウェイではなくロンドンだったんですか?

すっごく迷ったんですけど、「シェイクスピアが好きだったから」という格好付けた理由と、ロンドンの街への憧れが強かったからです。あとは、紅茶文化の国だから。私、珈琲飲めないので(笑)

 

―なるほど(笑)ロンドンではどういった生活をされてたんですか?

まず半年間語学学校に通って英語を勉強しました。その後は舞台の裏方の勉強をしたかったんですけど、留学に行く前に日本の留学専門の会社に聞いても「パフォーマンスの学校は紹介出来るけど裏方の専門学校は無いですよ」って言われていました。けれど、ロンドンに行って、よく舞台を観に行っていた劇場で手に入れた演劇専門の新聞の中に演出やステージマネジメントの勉強ができる専門学校の情報が載っていたんです。予算にも見合っていたので行ってみたら、生徒がたった3人の個人レッスンでしたが(笑)、そこに入って国籍の違う子たちと一緒に勉強をしていました。で、先生と仲間とで「ロンドンの小劇場で芝居をかけよう」となったんです。人数が足りないので、オーディションをして人を集めて動き出しました。私は制作的な立ち位置で動いていたので、稽古場やパブシアターを予約したり、チラシを発注して集客したり、当日は受付から小屋掃除から照明・音響までやりました。その準備期間の中で、先生が演出を付けている様子を近くで見ていて、「役者ができないと、演出はできない」って突き付けられました。役者に動きを付けるのも演出家の仕事なので、セットの転換は出来てもそっちは無理だなあと思いましたね。でも裏方として演劇に関われることにはとても幸せを感じていました。

そんなときに、「今やってる芝居をエディンバラのフリンジフェスティバルにかけるから一緒に行かない?」って誘いを受けました。スコットランドの首都エディンバラで約1ヶ月間にわたって開催される世界最大の芸術祭なので、もちろん行きたくて行きたくて。でも航空チケットの関係で一度日本に帰国しないといけなかったので、「稽古の時期に合わせて戻ってくるね」と約束して帰国してから数ヶ月間、再渡航のためにお金を稼いで、ロンドンに戻ってきたんです。で、「さあこれから稽古が始まるぞ」って時期のある日、母親から電話がありました。「おかしいなあ、どうしたんだろう」と不安に思って出てみると、「お父さんが末期がんで余命3ヶ月なの」と告げられたんです。ロンドンに戻ってきた直後のタイミングだったので迷いましたが、日本に帰ることを決めました。

 

 

―そのタイミングで、、、色んな葛藤があったでしょうね。

はい。そういった経緯があったので、帰国してからも「いつかフリンジフェスティバルに行くこと」が夢だったんです。だから身軽で居れるようにと正社員にはならず派遣で働いていました。そんな日々が2年ほど続いていたある日、インターネットサーフィンをしていると、かつて通っていた演劇学校のホームページを見つけました。学校からいつのまにか劇団になっていて、そこには「今年、またエディンバラに行く」って書いてたんです。すぐに先生にメールを送ってみると、「ぜひ来てくれ。大歓迎だ!」と言われて再度ロンドンに渡りました。そして3週間稽古に合流した後にみんなでエディンバラに行きました。毎日3本ほど公演をかけるのでかなり体力が必要だったし大変でしたが、芝居に浸れている幸せを感じる日々でした。しかも、同じ演目なのに、入るお客さんの雰囲気や反応によって、芝居が変化するんです。あるときは涙涙の舞台になったり、あるときは笑い声が絶えなかったり。そんな舞台を近くで観る中で、「お芝居は生ものだな」と感じました。

 

▼フリンジフェスティバルで出番待ちをしている女優陣

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▼フリンジフェスティバルでのチラシ

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―「お仕事として演劇をしていこう」とはならなかったんですか?

日本より演劇が根付いたロンドンにおいても、演劇関係の仕事だけでごはんを食べていくのはかなり厳しいんです。フリンジフェスティバルが終わったときは28歳になっていたこともあって自分のこれからを考えたときに、「演劇の世界に飛び込んで、好きなことはしながらもあまり稼げずお洋服も買えない自分」と「そこそこお金を稼いで、バーゲンのときくらいは服を思い切り買えるような自分」を両方想像してみたときに、後者がいいなと思っちゃったんです。おそらくフリンジフェスティバルでやりきっちゃって演劇に対する情熱も燃え尽きちゃったんでしょうね。ちょうどそのときに、渡航少しだけ派遣で働いていた会社の社長から「人手が足りないから帰ってきたら手伝ってほしい」と頼まれたので、帰国して就職することに決めました。

 

▼最後にロンドンに行った際、公演していたパブシアターの下のパブでの写真

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―日本に戻ってきてから、後悔とかもなかったですか?

やっぱりやりきれたので、後悔とかはまったく無かったですね。好きなことを思い切りできてよかったです。帰国したらしたで、mixiコミュニティを通じて「RENT」(リンク貼る)ファンの友人と出会ったりして、人生が大きく広がりました。彼らとは、今はときどきミュージカルライブを企画して公演する仲間になっていて、その中で私は訳詞を担当しています。

 

▼ライブグループのブログ

ameblo.jp

 

―今後、やってみたいなと思うことはありますか?

大きいことになっちゃうし、自分がどうにかする!って意欲があるわけじゃないんですけど(笑)、日本の小学校に演劇教育が導入されたらいいなと思っています。実は、先進国で演劇が芸術科目に取り入れられていないのって日本だけなんですよ。私はロンドンと日本、両方の劇団のお手伝いをしたことがあるんですが、演劇のスキルが全然違うんですよね。その理由の一つは、ロンドンの演劇関係者は皆演劇の専門学校を出ている一方で、日本の演劇に出ている役者さんって、特にミュージカル界では声楽家ダンサー出身の方が多いので、演技が二の次になってしまってる状況もあったりします。それに、知識量も全然違います。日本って、演劇の役者さんでも戯曲を読む習慣がある方は少ないのですが、ロンドンではオーディションを控えた役者の間で「次のオーディションでは、この戯曲からここの一説を演じようと思うんだ」なんて会話が飛び交っているんです。日本の演劇の質が向上するためには、やっぱり役者が増えること、そして観客も増えて観客の目が肥えることのどれもが必要だと思います。小さな頃から演劇に触れられる環境があれば、自然と演劇に興味を持って、演じる側・観る側になってゆく子が増えると思うんです。

 

願うのは、それくらいかなあ(笑)

私、長生きしたくないんです。生きて、病気になったり、お金に困って生活が困窮するのが怖いから(笑)

猪突猛進型で、「やりたいと思ったことはとりあえずやれ!」「やって後悔とやらない後悔だったらやって後悔」をモットーに、好きなことばかりしながら生きてきたので、思い残すことがないんですよね。この歳だから言えるだけで、60になったら生にしがみついてるかもしれませんが(笑) まあ、生きている以上は、「やってしまったなー!」って後悔をまだまだしていきたいですね。

 

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 ■My note

編集・ライター講座で出会ったおといさん。講座の中のワークで自分のことを話す際に「長生きしたくない!」「人間に尊厳死を!」と言っていてとても驚いたことを覚えている。というのも、これまで、このインタビューは同世代にすることが多かったこともあって(しかも、社会に出る前の夢に溢れた大学生たち)、皆両手で数えきれないくらいの夢を持っていたし、それらすべてをやり遂げるにはいくら長生きしても足りない!という感じだったから。

でも、今回お話を聞いてわかった。おといさんは、本当に自分に正直に、納得できる道をそれぞれの分岐点で選んできたからこそ、そう言えるのだと。長生きしたくない、と言うとインパクトがあるけれど、いつ死んでもいいと思えるくらい後悔の無い、最高に気持ちのいい生き方をしているのだなと思った。