【About you】♯103 角川悟愛

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Basic Data】

名前:角川悟愛(すみかわさとえ)

所属:シナジーマーケティング株式会社

生年月日:1986年2月23日

 

【Interview】

―まずお仕事について、入社後からキャリアを教えてください。

社会人8年目で、これまでを振り返ると、1年目は東京配属になり職種は営業でした。3年目まで同じポジション・同じ環境で仕事をした後、ちょうど4年目になる春に大阪に戻って来て、インサイドセールス部隊の立ち上げに関わりました。その後、社内のお困りごとを解決するグループで半年間マネージャーをして、去年1年間は自社のマーケティングを行う部の部長をしていました。

 

振り返ってみて思うことは、社会人1年目の経験が自分の中での土台になっているということです。特に「がむしゃらに自分が手を動かす」「理解できるまで、納得いくまで質問する」スタンスは、1年目に徹底しておいたおかげで今の自分のスタンダードなスタンスとして身に付いたんだと思います。効率よく早く帰ろうと思ったら、「私の仕事はここまでだから、あとは◯◯さんよろしくお願いします」って別部署の方にバトンタッチできるけれど、お客様の窓口となる自分が理解もしないままに提案をするのが自分としては嫌だったから、Webサイトの提案をするときはどんな考えの元このデザイン案が生まれたのかを自分の中で落とし込んだし、開発案件であれば「この費用が高いのはこのリスクを回避するためなのか」と?と思うことをひとつずつ潰していったりと、わからないなりに最低限でも理解するようにしていました。

 

ー入社以前からばりばり働くぞ!という気持ちはありましたか?

ありました。ただ、全然ITには興味が無くて(笑)うちの会社を選んだ理由は人なんです。だから、「なんでも話せる営業マンになってITの世界で天下を取りに行くぞ!」って気持ちは無かったです(笑)うちの会社はありものを売るのではなくて、お客さんのニーズを聞いてそれに合ったソリューションを提案する側面が強いので、提案する人間の力量が問われると思います。だからこそ、いかに必要とされる人になるかを意識していました。あと、私は「自分が評価されたい」欲が強かったから頑張れたんじゃないかなと思います。

 

―角川さんから聞いた印象的なエピソードのひとつに「1年目はとにかく提案書収集マスターになって、周りで『こんな資料ない?』って言ってる人がいたら誰よりも早く渡す癖を付けていた」お話があります。

1年目のときって自分がやれることが本当に少ないじゃないですか。その中で自分がまずできることは、先輩の技や言い回しを盗むことだと思っていて、その一環で色んな先輩の提案書を片っ端から盗んでストックしてました(笑)そのストックがあったおかげで、誰かが困ってるときにスッと差し出すことができたんです。それに、誰かに渡すことで、自分も「この資料にこの内容が載っているんだ」って再認識できました。あと、先輩に恩を売ることでポジショニングができて、かつ自分が困ったときに助けてくれるようになるでしょう(笑)そういう意味では、計算高くやってたのかもしれません(笑)

 

―1年目の思い出といえば、あの大型案件ですかね?

そうですね。かなり大掛かりな開発案件なのに、ぺーぺーの私が窓口なものだから、何か起こるとは思っていましたが。。色々トラブった結果、お客さんに「うちの会社は新卒の勉強台じゃありません。営業を変えてください。」と言われたときには、力不足な自分がもうショックで情けなくて悔しくて仕方なかったです。でもそこで大きな挫折をして、なんとか挽回しようとしたことが成長のきっかけになったと思います。

 

―逆に2-3年目のエピソードはあまり聞いたことがないです。特に困ることもなかったんですか?

そうなんです。私はたぶん、置かれている環境によって今何が必要なのか・自分はどの立ち位置に立つべきかを察するアンテナが高い方で、「大型代理店の担当」に求められるのは、代理店さんからの質問に対してすぐに的確に回答をすることだったから、システムの仕様を完璧に覚えたりしてそこを徹底したんですよね。だから、好かれて案件も貰えたんだと思います。ということで、挫折することなく過ごしてしまったがために特に思い出はないです(笑)

 

―大阪に帰ってからの仕事内容はどうでした?

インサイドセールスに関しては、立ち上げやルール決めに関われたことは楽しかったです。結構業務設計が好きなので。電話とメールでお客さんのニーズを聞き出して素早く的確に回答する業務自体も、代理店担当時代とそんなに変わらなくて、大きな苦労は無かったです。その後、引き続きインサイドセールス活動をしながら社内のお困りごとの解決役をしてたんですが、これも自分の好きな分野の仕事だったから楽しかったです。自分自身、新人のときは「この情報はどこにあるの?誰に聞いたらいいの?」ってかなり戸惑ったので、自分がいることで誰かの困りごとが減ってかつ売り上げが上がったり会社がうまく回るようになることが嬉しかったしやりがいがありました。

 そんな感じで特段苦労もせずぬくぬくと過ごしてたときに、「自社マーケティングの部長をやってほしい」と言われて、最初はフリーズしました(笑)「え?『CVR』って言葉の意味も曖昧な私が部長。。。?」って。これが、私の次のターニングポイントに繋がるわけです。。。

 

―部長になってみて何が大変でしたか?

とにかく、自社のマーケティングについて自分がほとんど分かっていないので、「このレポートは何ですか?これは何の数字ですか?」ってことをメンバーに聞くところから始まるわけで。メンバーはみなさんそれぞれ特定の分野のプロフェッショナルな方なので、なんでわからないことだらけの私が部を束ねてるんだろう、って自己嫌悪にもなりました。何もわからないから、自分の意見もあまり言えないし、意見の根拠も持てない。本当に右も左もわからない状況でした。

あわせて、部長になってからは自分の弱点をすごく突き付けられたんです。たとえば、空気を読んでしまう性格とか、気を遣ってしまって人に強く言えないところとか、何でも自分でやってしまって任せられないところとか、断れないところとか。昔から抱えていた弱点が全部露呈した1年だったと思います。まあそうしたいろんな要素が重なった結果、とても肌が荒れました(笑)

 

―そんな中で、旦那さまと2人で2016年4月から1年間休職・留学をするという大きな決断をされたわけですが、決めたのはいつだったんですか?

決めたのは10月か11月くらいです。部長になって4~6月がすごくキツくて、夏頃からその疲れが出て肌がめちゃめちゃ荒れたわけですが(笑)、9月くらいからはある程度慣れてきてたんですよね。

そんな20代最後の秋に、ふと思ったわけです。「私はこのままでいいんかな?」って。

同じタイミングで、彼も色々と考え始めていました。彼は自分で事業をするという夢があって、そのための手段として語学が必要だった。私は海外旅行が好きなのでもっと喋れるようになりたいし、将来やりたいことに関する海外の現状を知りたかった。お互いの希望が合致して、「よし、留学しよう」と決めました。

この決断ができたのは、部長になってからの挫折があったからですね。のらりくらりとやっていた1年だったら、挫折が無いから自分の弱点とか本来やりたかったことを振り返ることはなく、何も考えずに居たと思います。

 

―留学先であるカナダでは何をされるんですか?

最初の3ヶ月は語学学校に行って、その後はカフェなどアルバイト先を探して働きつつ、ネイティブの人とコミュニケーションが取れるスキルを高めていきながら、将来のための勉強を兼ねてアニマルシェルターでボランティアをするつもりです。

 

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―角川さんの夢は「動物に関わること」と聞いています。その夢はいつからなんですか?

小学2年生からです。高2までは獣医を目指してたんですが、受験期に勉強に挫折して獣医を諦め、専門学校へ入学し、動物看護士を目指そうと思いました。しかし、専門職へ進むことに対する両親の心配もあり、「本当にやりたければ大学を卒業してからその道へ進めばいいや」と思って立命館大学へ入学しました。大学生になった私はすっかりハジけてしまい、そんな夢も忘れてリア充な生活を満喫してしまいました。。就職活動のときに、動物看護士を目指すかどうか再度考えましたが、「とりあえず潰しがきくよう企業勤めの経験をしておいた方がいいな」と判断し、今の会社に入社しました。動機は不純ですが(笑)やりがいを持って働いてたわけです。が、29歳で挫折をして自分を見つめ直したときに、「私が本当にしたいことは何だろう?」って考えたらやっぱり動物に関わることでした。具体的には動物保護に関する活動がしたいです。世界にはペットショップが無くて里親譲渡会からしか動物を家族として迎えてはいけない法律がある国もあります。一方で日本はまだまだです。つまりは、もっとよくなる可能性があると思っています。海外と日本では、道徳観とか生活の中でのボランティアの浸透具合とか、色々前提条件の違いがありますが、日本でも取り入れるべき制度、活用すべきメディアとか参考になることは多くあるのではないかと思っています。その勉強を留学中にしたいです。

 

―復職後のキャリアイメージはありますか?

さっきの話の続きでいくと、日本でもマイクロチップ、里親譲渡とかが当たり前になるような活動をしていきたいのですが、そのための制度やメディアがまだまだ不足していると思います。そこになんらか手を入れたいですね。うちの会社は強いメディアを持つYahoo! JAPANのグループ会社なので、CRMとメディアをうまく活用できないか、勝手に模索しています(笑)

  

―将来やりたいことって何かありますか?

老後は、縁側と広いお庭があるちょっと広めの田舎の家に引っ越して、そこでアニマルシェルターの動物を可能な限り引き取って里親を探しながら、動物が自由に走り回る様子を見て、縁側でお茶をすするばあちゃんになりたいです(笑)それだけが自分の人生最後のイメージとしてあります。それ以外だと、世界各国に友達を作って、年取っても遊びに行きたいですね。

 

―最後に、後輩へのメッセージ・人生訓をぜひお願いします。

「苦労は買ってでもしろ」ってことわざを聞くと「え?」って思うかもしれませんが、私はあれは「たくさんチャレンジをしなさい」ってことなんだと解釈しています。チャレンジって未経験のことに飛び込むことだから、大体挫折とセットですよね。その挫折経験が何かを変えたり成長するきっかけになると思うんです。保守的になるのは家庭とか子どもとか守るものができてからでよくて、若いうちはとにかくたくさんチャレンジしてたくさん挫折すればいいと思います(笑)

挫折が無いと、のちのち人生を振り返ったときに、「あれ?私何してたっけ?」ってなりそうですよね。60年のうち何十年も思い出せることがないって寂しいから、私はたくさん挫折して、「ああ、こんなこともあったね。大変だけど楽しかった」って笑いたいです。

 

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■My note

1年目の途中、挫折して大阪に帰ってきた私を迎え入れてくださった部署で私の上司として付いてくれたのが角川さんでした。

一つひとつの仕事が迅速かつ丁寧で、ストイック。そして、常に相手に役立てるためには役割や期待以上のgiveを惜しまない姿勢。思わずみんながフレンドリーに接してしまうほど(笑)、後輩にも優しい姿。もちろんそれゆえに社内外からの信頼はとても厚いものがあり、その姿を見ながら隣で仕事ができたことは本当に恵まれていました。

私が大阪に帰ってきた初日に「どうすれば仕事を進めやすいのか」をヒアリングしてくださり、どんなに忙しくても私が質問をするたびに都度手を止めて私の腑に落ちるまで答えてくださった角川さんには本当に感謝でいっぱいです。

角川さんの部下になれてよかったです!また帰国されたらお肉食べに行きましょうね!