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『あなたとわたしの話をしよう』

久々に地元へ長い帰省をして、今日大阪へ帰って来た。安心感すごい。もうどっちが故郷だかよくわかんない。

 

実家では食事・洗濯・掃除に関しては何もしなくても与えられる環境で過ごし、友達との再会もたくさんあった。ローカルな遊園地で年を越したり、丑三つ時に初詣に行ったり、初日の出を見たことはいい思い出だ。地元の町は、自然に恵まれている。中でも、海はすごい。海岸線をドライブするのは、好きだ。(わたしはペーパードライバーなので、いつも助手席から見るだけだけど)

 

 

でも、やっぱり地元の町には、わたしがあの町を飛び出したくなった原因にあたるものが、たくさん転がっていた。

 

誰々が結婚しどこで働いてるという話、近所の誰々さんは病院に通ってるよという話、町を徘徊する変な人がいるよという話、テレビに映る芸人の揚げ足取り。少し調子を合わせつつも、そんなノイズが溢れていて、耳を塞ぎたくなった。

 

皆の会話の主語はいつも、「あの人」だ。

 

自分自身が、

何をしているのか

何を感じているのか

何に悩み、どうしたいのか

そんな会話をすることは、かなり少ないかもしれない。

 

 

あの人のことを話すのであれば、

テレビの話をするのであれば、

 相手は誰だっていいはずだ。

 

 

あの町には、ある種の共通の価値観が流れている。万人に信じられている幸せの方程式みたいなのが合って、なにかとそこの枠組みにはめようとする。その枠に入らない人は、変わり者と指を指されるし、幸せになれないよと鼻で笑われる。笑ってる本人は、他人を笑う暇があるくらいには退屈なのに。

 

そーゆー大きな流れや、その他多くの窮屈なものに耐えられなくなったのが中学のときで、そこから一刻も早く脱出しようと思っていた。そして、大学入学と同時に関西に来た。

 

関西には、地方から出てきた友人もたくさんいた。最近の同年代は家族を大事にする世代なのか、「一度は出てきたけど、将来は地元で恩返ししたい」「地元を盛り上げたい」「結婚してからは、地元で親の近くで住みたい」と言う子も多くいる。そんな温かい言葉を聞くたび、「ああ自分は彼らとは違うなあ」と感じる。わたしは、故郷を愛せなかったから、あの町でいると窒息しそうだったから、逃げてきたような、生まれ育った町を捨てたような、人間だからだ。

 

 

 

 

わたしは、もっと『あなたとわたし』について話したい。

そして、語れるわたしを持ちたい。

だから、都会でもがくことを選ぶんだ。

 

 

 

年に2回か、多くて3回帰省する。

あの町に帰るたび、わたしは今其処から離れた街で暮らし、働き、もがいている自分の存在意義を確かめているのかもしれない。