楽しみなインタビューの予定があります
もしかしたら、とても尊敬する友達のインタビューがまたできるかも。
となっており、しかも向こうから言ってくれたのが嬉しくて、少々武者震いしている。大袈裟でなく。
でも一方で、少し怖さも感じている。なんか、ガラス製のお皿を持つときのような怖さ。
彼女(その友達)は、あえてこの言葉を使わせていただくと、「素材」として完璧。
おもろくて、体張ってて、人のお腹をよじらせ人の心を動かす文章が書ける人。
エピソードにも事欠かないし、それらは彼女のブログの中でふんだんに赤裸々に語られている。
そんな状況下で、私がインタビューをする意味って?
、、、、、なんか、ある??
そう思ってしまうのも事実。
取材して、編集して、まとめる。
ただそれだけのようで、それって実はすごく〝料理〟させてもらうことになると思う。
もちろん確認のフェーズは挟むから、「違うよ!」とか「ここ気にいらんよ!」って部分は最終手直ししてもらえるのかもしれないけど、それでもやっぱりインタビュアーの取材力はすごく問われる。
・何を聞くのか
・どう聞くのか
・どこまで聞くのか
・どこまで書き起こすのか
・どうやってまとめるのか
全部、全部、問われるなって。
それしだいで、素材を殺すことだってできてしまう。。
そんなことを考えているときに、思い出した。
大学3年の後半から卒業迄、1年半の間、怒涛のようにインタビューをしていたときのことを。
あのときは、1日3人にインタビューをして、毎日のように記事を編集してアップして、その作業を夢中で繰り返していた。
そのときに、「インタビューって何?難しくない?」とかって聞かれたら、わたしはこんな回答を持っていた。
インタビューは、私にとって左にあるものを右に移すような作業。だから、引き出そうとか見せ方を工夫しようってあんまり思わなくて、しゃべってもらった空気感をできるだけそのまま保存して、届けることなんよなー。
こんなこと思ってた。
人にも話してたと思う。
それを、思い出した。
最近、仕事で記事を書く機会や取材を担当させていただく機会も増えた。
Webライティングについて目に留まった記事とかがあれば、闇雲に読んだりもしてる。
そーゆーのを重ねていく中で、何回も天井に頭をぶつけながら、きっと成長してる部分もある(そう信じたい)一方で、大事な初心を忘れてた。
届けるときに大事にしたい気持ち。
ガラスを扱うように繊細に言葉を大事にする作業。
言葉の奥に潜む思いに耳を澄ます時間。
もちろん、仕事と趣味は違う。
わたしも仕事では媒体の特性上、いかに綺麗に文章を削りコンパクトな文章でコアメッセージを伝えるのか、という部分に神経を注ぐことを求められる。まだまだ、超苦手。超荒削り。だけど。
求められることは、場所によって違う。
自分の役割によって変わる。
けれど、せめて利害とか金銭とかそーゆーのを超えて、相手と自分しかフィールドに立っていない今回のような場くらいは、初心を噛み締めながら取材をさせていただこうと思います。
あー、楽しみだー。