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小さな感情の炎を揺らし続けられますように

スランプなときほど、不思議と筆が進むことってある。

今日はそんな気分。

 

 

人は、年を重ねてゆく中で、いろんな出来事に出会う。

 

うれしいこと、楽しいこと、悲しいこと、悔しいこと、怒りが抑えきれないこと。

 

そんないろんな「こと」、いや、ただの「こと」をそう捉える「感情」で出会いながら、日々生きてゆく。

 

 

RPGと同じで、最初は小さな敵の前で苦戦をしていた自分がレベルアップしてボス戦に挑むかのように、人間も色んな出来事を経ながら強くなっていく。

 

 

傷つきにくくなるし、小さなことでくよくよしなくなるし、冷静に話ができるようになる。

 

そういったスキルは社会で暮らしていくためには不可欠だから、どんどん磨かれてゆく。

 

むしろこれと対極な行動をビジネス面でやっていたら「未熟だ」と突き放されるだろう。

 

だから、これはこれで、お金を稼ぎ自活していくために必要なことであるとは身に染みて思う。

 

 

けれど、一方で、そうして育った理性に押しつぶされて苦しくなっている、

 

もやっとした感情が自分の体の中には残っている気がする。

 

 

悲しいときにぐっと涙を堪えて前を向くことはカッコいい。

 

けれど、その一方では行き場を無くした涙が、

 

伝えたかったけど吞み込んでしまった言葉が、

 

 

体の成分と化して溶けてゆく。

 

 

何もおもしろくないのに愛想笑いをしておいた方が、社交上有利に働くこともある。

 

けれどその一方で、

 

「自分が何に対しておもしろいと思うのか」

「楽しめるのか」

 

そんな本質がぱらぱらと体から去り、

 

空虚なかたまりが体にぽかんと穴を開ける気もする。

 

 

それに、楽しいことやうれしいこと、おもしろいことにも鈍感になってしまう気がする。

すべてが当たり前になり、ルーティンになり、気付けばため息。

でも、一番楽な当たり前を守るための行動に、今日も走る。ナンテツマラナイ。

 

 

 

感情は、出してやるといいと思う。

 

 

わたしは、よくお風呂場で泣く。

 

 

文字通り、洗い流してやれるし、不思議と水の近くにいるときは心に素直になれるもんだ。

 

 

 

 

最近ちょっと頭でっかちになりがちな自分、

 

 

もう少し、感情を感じることからはじめてみようか。