2人でお茶でもしよう。
大学時代、たくさんの人に出会った。
毎日、毎週のようにたくさんの「はじめまして」が交わされた。
所属していたコミュニティのメンバーの数も増えていき、全国に散らばったそれぞれの支部のメンバーを合計すると、50人くらいにはなってたんかな。
皆で笑い合える空間は楽しかった。
「仲間」という言葉がピッタリで、それは共通認識としてその場に根ざした。
でも、そこで疑問に思った。
「『みんな』で居るときは仲間かもしれないけれど、『あなたとわたし』だけになったとき、その言葉は効力を持つのだろうか?」と。
コミュニティからの卒業を控えていた。
就職活動を控えていた。
もちろんその先には、大学卒業・就職という節目があり、それは周りのみんなも同じだった。
皆がそれぞれの人生を歩いていく中で、今後もこの関係性が続くのか?
そう考えたとき、わたしの中に灯った答はNOだった。
そのときのわたしは、NOになることがいやで、だから何かをしようって思った。
「大学最後の1年間は、1人ひとりとの対話に時間を費やそう」
そう決めたと同じくらいの時期から、インタビュー活動もはじめた。
「インタビューさせて」という名目で、1対1で話す時間をいただき、これまでのこと、今のこと、そして未来のことを聞いた。
気がつけばそれはコミュニティの枠を超えて、わたしが大学時代に出会った人というおっきな括弧の中で、100人以上の方にインタビューさせてもらった。
インタビューに限らず、2人で話す時間って、わたしの中でとても大事。
その時間をとったことがあるか、その回数が多いか、そこで話す内容の深さ、、、
それらがクロスして関係性が築かれている気がする。
大勢の中の『アナタトワタシ』
5人の中の『アナタトワタシ』
たった2人ぼっちの『アナタトワタシ』
これらは、確実に違うから。
2人で話すことは、向き合うということだ。
あなたが発した言葉を受け止めるのはわたし。
空気を作っているのは、あなたとわたしだけ。
わたしが発した言葉は、真っすぐにあなただけに向かって届く。
だから、わたしは1対1のコミュニケーションがすき。
大勢の中で自己主張をするのが好きでなく、
ただなんとなく楽しいだけの関係や空間がすきじゃないわたしにはうってつけ。
あなたの話を詳しく深く聞きたくて、
信頼とか友情とか、言葉にするとなんだか大袈裟なものをじんわりと感じられるのがすきなわたしにはうってつけ。
人生の充実の大きな部分を占めるのは、誰と出逢って、どうやってコミュニケーションをとって、何を感じて、どれだけ思い出を作ったか、だと思うから。