ぼちぼち慣れてきました。

昨日はクリエイターでサプライズがお得意な先輩と、企画の立て方・記録方法・今後コラボできそうなことなどについて色々おしゃべり@LINE。

根っからの企み大好きな先輩に感化され、色々と仕掛けていきたい欲がむくむく。

コラボが楽しみ。

この前も、仲の良い友人からお互いのことを理解している関係性ゆえのお仕事依頼が。

年明けからの長期戦になりそうなプロジェクトだけど、やりたかった物語を紡ぐお仕事に近いことができるので、未知だけど不安以上に楽しみがでっかい。

いや〜ありがたい。

今も、ライターのお仕事をいただきつつ、前職の経験を活かしたインサイドセールスのお仕事も手伝ったりしていて、それも新鮮で楽しい。

「ライターという肩書きにとらわれずに!」ってメッセージもいただいたので、ココロが動くという確固たる軸にだけ沿って、寄り道もしつつ興味関心の向く方向に動きたい。

独立直後は、家やカフェで仕事をしていても孤独感ばかり感じて、あったかい雰囲気だった前職がとても恋しくなってたけど、仕事に変化やリズムが出来てきたこともあって、ちょっとずつだけど慣れてきた。

在宅でもこれだけ不自由なく仕事ができる今の時代に生まれたことに、ほんとに感謝だなあ。

めちゃめちゃ今更ですが、「君の名は。」を観に行ってきました。

タイトルの通りです。

 

公開されたの8月だよ。ロングラン。

興味はあったものの重い腰をなかなか上げられなかったんだけど、半分社会勉強くらいの気持ちで観に行ってきた。

 

なんせ、映画を観る習慣がない。

映画館に行くのなんて、1年に1回くらいじゃないかな。

中学生の頃は他に娯楽が無かったから、月1くらいで友達と電車に乗って映画観に行ってたけど、

高校で部活漬けになってからその習慣が途切れて、

人と観ていると感情移入しきれない自分がいるので、

なるべく一人で観に行こうとしているとどんどん腰が重くなっていった。

そんなこんなで、久々の映画館。

 

これだけ騒がれているのに、物語の予備知識は一切無かった。

男の子と女の子が入れ替わる、ちょっと浮世離れしたラブストーリーなのかなくらいのイメージ。

実際に観てみると、もうなんだか本当にその浅はかなイメージを持って臨んだのがゴメンナサイってくらいに、心打たれたし動かされたし涙腺崩壊した。

 

まず、評判通り画が美しい。

惹き込まれてしまったし、なんかテーマパークに行ってるような気分になった。

 

んでね、リアル。

物の描写や街の描写が。

一番びっくりしたのは総武線代々木駅(だったはず)のメロディーが再現されてたこと!発車メロディー好きとしてはたまんなかった。

 

んで、主題歌はRADWIMPS

これ、間違いなく私たちの年代狙いに来てるよね。

20代全般取り込みにきてるよね。

ちょうど私が高校生のときに彼らは全盛期で、3と4のアルバムなんて何百回聴いたかわからない、私も大好きだったバンド。

彼らの繊細な歌詞と〝RADらしさ〟を感じるメロディーが、すーっと物語に溶け込んでたよ。

でも「前々前世」が序盤で掛かるとは思ってなかった笑

 

もちろん大前提として、ストーリーにもめちゃ惹き込まれて、

気が付いたら、途中で何に感動してるのかよくわからなくなるくらい、大泣きしてた。

年を重ねるごとに感動しやすくなるし、心のひだが弱くなってる、間違いなく。

 

で、このお話の核にも関係してる、

「彗星が落下して町が壊れて多くの人が亡くなる」ってシーンがあるんだけど、

あれを見たときから、もう東日本大震災がフラッシュバックしてね。

 

年に一度のお祭りの日、皆がウキウキして会場に集まっているタイミングで、

そんな自然現象が起こって多くの人が一瞬で命を奪われる

なんて、こんなシーン、以前ならフィクションとしてしか見れてなかったと思う。

 

でも、特に震災以降、こういったことが起こり得るっていう考えが、自分の中に強く根付いて。

それはきっと、何度もニュースで見たあの津波が町を覆う衝撃的なシーンが、ずっと自分の中に残っているからなんだろうけれど。

 

だから、リアルだった。

途中主人公たちが入れ替わったりタイムリープ的な現象が起こることで、

その災害が起こる前の時間に戻ってどうにか被害を防ごうと奔走するシーンがあるんだけど、

「実際にこんなことができたら、救えた命がたくさんあるのになあ。」

なんて思ってからずっとそのことに心とらわれていたよ。

 

もちろん、現実には起こりえない設定を含んでたりするので、

細かいところに色々矛盾を感じたりツッコミたくなったりはあったものの、

十分に心揺さぶられた。

 

映画館からの帰り道、いつもの道やいつもの日常が少し非日常のように見えた。

「これは、私が見ているいつもの日常に見せかけて、この世界すべてが実は錯覚なのかもしれない。」

なんて思ったり、ちょっとした景色がやけにキラキラ見えたり。

そして、心揺さぶられたからか、なかなか寝付けなかった。

 

 

これが、いい作品に出会えた証拠。

 

こんなタイミングになってしまったけど、観に行ってよかった。

ここではないどこかではなくここで

1年ほど前だろうか。

自分のキャリアについて色々考え始めたときに、

拠点をどうしようかとなって、私は東京に行こうと決めた。

 

ライターとしてキャリアを積んでいくのであれば、東京の方が確実にチャンスは多い。

「東京に行った方がいいよ」という助言も多く、今や東京の方が友人も多くいるため、迷う余地はなかった。

 

社会人1年目の最初の配属先が東京だったが、

色々重なったりなんだりで会社に行けなくなり、

「環境を変えてもっかい頑張れ」という人事の配慮で、半年弱でそこを去り大阪の本社に帰った。

だから、正直仕事面で東京に対しては苦い思い出が多かったけれど、

再度東京で仕事にチャレンジできるならその思い出を塗り替えるチャンスだ、と

だから今度は30歳くらいまでは東京を拠点にして頑張ろうと思っていた。

ちょうど私が30歳になる2020年に東京オリンピックも開かれるしね。

 

そして、今年の夏頃。

ちょっと色々な理由が重なって、関西をすぐに離れるのが難しくなった。

自分でコントロール不可能な理由もあったりで、最初は戸惑ったし、どうしよう・・・というのが正直なところだった。

 

で、色々と悶々と考えながら散歩していたら、こんな言葉が降ってきた。

 

「私はなんで、こんなに東京に行きたがってるんだろう」

 

その言葉は何度も私の中を反芻した。

憧れの街へ行きたい理由を問うてみると、あんまり確かなものは浮かばない。

 

大きかったのは、「ここではないどこかへ」という気持ちだった。

夢を持ちつつも、変わらない日々を過ごし、変わるための行動をあまり起こせなかった自分が好きじゃなくて、場所が変われば、環境が変われば、私は違う何者かになれると思っていたのかもしれない。

 

そんなことを考えてギクッとしているとき、くしくもちょうどSNSなどで「関西ってやっぱいいわー」みたいなコンテンツを見聞きすることが多かった。

 

一番心打たれたのは、尊敬するライターさんの一人でもある塩谷舞さんが書いたこの記事。

bokenai-osaka.com

 

これを読んで、心の底から「ああ、私大阪好きやなあ」と思った。

その瞬間には、土地にこだわり、「東京に行かないといけない」「このまま大阪でいたら何も変われない、前に進めない」といった強迫観念めいたものは無くなっていて、すごくポジティブに「ここ大阪で、関西で、頑張ろう」って思っている自分がいた。

 

四国の田舎から、大学入学と同時に関西に飛び出してきた。

大学1年のとき、とても日々がつまらなかったけれど、一歩踏み出したりいろんな人に会ってるうちに、気が付けばかけがえのない人たちに囲まれていて、宝物のような大学時代を送ることができた。

社会人1年目。東京で挫折して、後ろめたさを感じながら関西に戻ってきた。

でも、いろんな人に支えられて、そこで一つひとつ仕事を達成していくことで、自分の自信を取り戻せた。

 

関西は、私にとってとても大事な場所。

「東京に行けないからいる」ではなく「関西にいたい」「ここで頑張りたい」って思えた。

 

「自分を変えたいなら住むところを変えろ」という言葉があるくらい、何か新しく始めるときや自分を変えるときに、土地を変えることは非常に有効だと相変わらず思っている。

それに、1年後3年後5年後に、私がどこでいるかなんて正直わからない。

 

でも、今私は関西でがんばる。

大好きな土地で、慣れた土地で、散歩してるだけで幸せになるようなコースが近所にある大好きな今の家で、ここではないどこかではなくここで、自分を好きでいられるように私は頑張る。

 

この1年間ほど、「そのうち関西を離れるかもしれない」という割には新しい場所へ足を運んだりすることに億劫になっていた。

新しい友達が欲しいなと思いつつも、すぐに東京に行くかもしれないしなと思って、積極的になれなかった。

 

そうしたたがを外して、思いっきり関西での生活を楽しもうと思う。

 

 

あ、ちなみに余談ですが仕事はやはり東京の企業様とのものがほとんどです。

でも、チャットツールやWeb会議などを用いて回ってるし、むしろ「関西にこういうこと頼める人いなくてね」といった言葉をいくつもいただいているので、それほどネックにはならなそうです。

インタビューの力で叶えられればいいなと思うこと

「ライターさんって、カメラマンのように友達から仕事を依頼されることって少ないんじゃない?」

と言われて、たしかにそうだなと思った。

 

たとえば、カメラマンなら、個人のポートレートや家族写真の撮影の需要がある。

デザイナーさんは、カメラマンほどではないかもしれないけれど、たとえば個人事業主をしている友人がいたら、HPやチラシのデザイン・制作を依頼されるかもしれない。(※これは半仕事といわれればそうだけど)

それに比べると、ライターはなかなか一般に需要が少ないのかも。

 

けれど、インタビューや文章に、こんな活かされ方があってもいいのになって思う。

もっと広がればいいなって思う。

 

 

たとえば、自分史の振り返りに。

その人のそれまでの人生をインタビュアーが掘り起こし、記事にする。

話すことによって自分のこれまでを振り返りこれからを考えてもらう。

迷ったときに読み返したり自分の節目にアップデートしてもいいし、自己紹介に使ってもらってもいい。

 

たとえば、結婚の記念に。

2人の馴れ初めから普段はなかなか言えないお互いへの感謝の気持ちまで語ってもらい、記事にする。

お互いへの想いを再確認するきっかけにしてもらう。

毎年、結婚記念日に読み返してもいい。

 

たとえば、生まれてくる子どもへのメッセージに。

命がお腹に宿った一番幸福な時期に、親から生まれてくる子どもへとっておきの愛情を伝え、記事にする。

子どもが物心付いたとき、あるいは将来子どもが何かに悩んだときに見せてあげて、

「あなたは目一杯の愛情に包まれて生まれ育ってきたんだよ、いつも見守ってるから大丈夫だよ」と証明してあげてもいい。

 

たとえば、人生の記録に。

年を取り、死期が近付いたとき、自分の足跡を噛み締めながら語ってもらい、記事にする。

本人からの依頼でも、家族からの依頼でもいい。

一人ひとりの人生には、それぞれ喜怒哀楽の詰まったドラマがある。

振り返っていく中で、感謝を伝えたい存在が何人も浮かぶかもしれない。

記事を見た子どもや孫・友人は、数え切れない幾つもの思い出とともにその人のことをずっと覚えていてくれて、恋しくなったそのときはそっと文章を読んでくれるかもしれない。

 

 

こうして書き起こしつつも、まだまだ言語化できていない部分がたくさん。

でも、おいおい私が取り組んでいきたいことだなあという気がしている。

なんとなく

なんとなく。

 

それは、一番ぼんやりしてて、不可解で、でも一番確かな感情。

私の中で意思決定するときに「なんとなくいい」「なんとなくいやだ」は結構重要なポジションを占める。

 

100%自分の気持ちに素直にはまだ生きられていないから、

なーんとなくいやだなあと思っても、言い出せずにいることがある。

踏み切れずにいることがある。微妙な気持ちを抱えてやってしまうことがある。

ある意味それは、年を重ねるにつれて身につけてしまったしなくていいことなのかもしれない。

 

けれど、なんとなくいやだなあと思うこととは、

遅かれ早かれ別れが来る。

私のどっちつかずな行動なんて簡単に追い越すくらい強烈に、

「ほら、最初に伝えたでしょ。違うって」と言わんばかりにカードを差し出してきて、

「ああ、やめよう」「やっぱり違うな」と諦めざるをえないような訴えをしてくる。

 

もちろん逆もある。

理由などわからず、「なんとなく」プラスに心が動くことがある。

なんとなくやってみたい

なんとなく好き

なんとなくこっちな気がする

それらは、ほぼ外れたことがない。

「本当にこれを選んでよかったな」「飛び込んでよかったな」

過去を振り返ったとき、そう思えることばかりである。

 

直感が一番ロジカルで確かだと、私は思う。

彼らは、過去のいろんな体験を総動員して、

私にとってそれがいいのか悪いのか、

向いてるのか向いてないのか、

本心なのか邪心なのかをいつも教えてくれているのだ。

 

大人の事情で直感がYESと言わないことを選んでしまうことは今後もあるかもしれない。

すべてを断れるほどまだ意志も芯も強くない。

けれど、せめて自分の直感が指し示したものには全力で向かっていきたいと思うんだ。

 

私だけの水槽

「さあブログを再開するぞ」と意気込んだものの、いざとなると何を書いたらいいのかわからなくなる。

しばらく書いてなかったから、大学時代のように思いを垂れ流すことにも少し抵抗があり、とりあえず書き始めようとならない。(いや、まさに今は垂れ流しの最中だけれど。)

短編の物語を書こうかなと思ったけれど、創作は自分がやりたいことの一つでもあるので、万が一億が一いいものが書けてそれを堂々と公開したものを、偶然見つけた人にパクられてその人が賞を掻っ攫っていったりしたらやりきれないからやらない、別で書く笑 被害妄想ひどいし自意識過剰だな笑

あといくつかアイデアはあるけれど、まあおいおいかな。

ライティングの仕事をするようになって、まだまーだひよっこだけど、感じることがいろいろある。とりあえず、生きてる感は会社に勤めてたときよりほとばしっている。楽じゃないけど、その分感じる生きてる感。いいことも悪いことも嬉しい感情も悔しい感情もまるまる感じてる感ですよ。「人生感動したい」欲の強い私にとってはイイ感じだなと思います。ただ、土日関係ナシに仕事しちゃうし結構疲れも溜まりやすい体質だし最初は変に気が張ってて余計披露蓄積しやすいと思うから、今年の残り2ヶ月は基盤づくりくらいの気持ちでいきます。

で、そうそう。ライターの仕事って、好きなことを好きなように書くことじゃ決して無くってね。求められることを書く。読まれる記事を書く。読み手に届く記事を書く。それが、何より大切なわけで。

だからこそ、こっちのブログではなーんにも考えず、自分の気の向くまま、綴ったり表現したりしようと思う。自由に泳いでいい水槽だからね、ここは。

そんな感じで気ままに更新していきます。

目指せ週3以上くらいの更新。

ではでは。

ライターになります。

大学3年の10月に、ボイスレコーダーを買った。

安くて雑音もすべて均等に拾ってしまう、決していいレコーダーではなかったけれど、こいつは私の相棒となった。

何か自分で生み出したいと思い、友人100人以上にインタビューをしてブログに記事を書かせてもらう活動をした。相棒は大活躍だった。

 

そして、今わたしの手元には新しいボイスレコーダー2号がある。これは職場の先輩方から、餞別にいただいたものだ。

 

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10月末を以て、新卒から3年半勤めたWebマーケティング関連企業を退職した。

在職中はインサイドセールスを主業務としながら、自社ブログ記事の執筆(22記事書かせていただいた)や取引企業様への取材活動(こちらも8件担当)などに挑戦させてもらった。これも「学生時代の話ですが、友人100人以上にインタビューしたことがあります。記事を書かせていただきたいです。」なんて、ブログ担当の方に自己紹介したことから始まったから、なんでも言ってみるもんだ。

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子どもの頃から、小説家を中心に書き手への憧れがあった。

小・中学校時代は、毎日学校から帰宅して宿題を終えた後は夢中で小説を書いていて、賞に応募したりもした。

高校時代は受験勉強と部活に忙しく書くことから少し遠ざかっていたが、大学に入って個人的な思いを綴るブログを始めたことでまた書く楽しみを思い出した。

そして大学3年のとき、所属していた団体を引退し「一人でできることで、自分のスキルを高められるものに取り組みたい」という思いから、友人へインタビューしてその記事を自分のブログにアップする活動を始めた。

1日4件インタビューする日も、1日10,000字程度の文字起こし+記事作成×2みたいな日もあったけれど、とにかく楽しくて楽しくて疲れも忘れてのめり込んでいた。そうしてるうちに、いつのまにか100人以上の友人を取材させてもらっていた。

就職して執筆とは関係の無い業務を行いながらも、書くこと・伝えること、そして新しく知った「人の物語を聴くこと」の楽しさは私の心の中でふつふつと炎を燃やしていた。その後、ブログ執筆等のお手伝いもさせていただくことになり、業務量は増えつつも充実していた。

 

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去年の8月、私は25歳の誕生日を迎えた。

そのときくらいからだろうか。自分の中で現状への焦りとこのままではいけないという気持ち、そして自分がどういった分野でスキルを伸ばすのかを改めて考えようという思いが沸き上がってきたのは。

色々と考えたり人と話したりしてみたが、やはり浮かんでくるのは書き手としてスキルを高めたいという選択肢。その勢いのまま、編集・ライター講座に申し込み半年間通ったりもした。

「ライターとして転職先を見つけよう。」

そんな思いから活動を開始していた。

編集者の求人はまずまず見かけるが、ライターの求人(正社員・契約社員)は少ない。

見つけたものの多くが事業会社(多かったのは人材系や医療系)のライター。

つまり、求められるのはそのジャンルに強い(今後特化していける)ライターだった。

 

私の興味関心・得意不得意が明確にわかっていたら迷わず応募していただろうが、そこまで自分の目指す輪郭はくっきりとなっていなかった。これは正直今もだ。

だからこそ、今はしがらみを感じずに自分が興味を持った案件に幅広くチャレンジする機会が必要だと感じて、フリーという形態を選ぶことにした。

もちろん、これから色々なお仕事や経験をする中で、形態も興味もどんどん変わっていく可能性はあるし、それでいいと思っている。

 

いばらの道だとは思うが、酸いも甘いも糧になると思うと言い聞かせて。

すでに不安いっぱいだけど(笑)

 

まあ、そんな感じでこれから未知に踏み込みおそらく悪戦苦闘だらけの仕事の息抜きのためにも、無理ないペースでこちらのブログは更新していこう。

ここでは、好き勝手に、素直な言葉をただただ紡ごう。