感性は知らない海に私を連れてってくれる

なにかを選ぶときや決めるとき、どうしても今の延長線上での選択や決断しかできなかったりする。

「将来から逆算して」とか「◯◯の目的のために」と言っても、その将来やその目的は今の自分から生まれてるものだ。生まれてる〝だけ〟のものだ。

 

4年前、就職活動をしているとき、私は人材系の企業に行きたくて、その業界の企業ばかり受験していた。それまでの自分の22年間の中で、よくも悪くも「働くこと」について考えざるをえない状況が多くて、問題意識と関心を一番持っていた分野が働くことだったから、「働く」に一番近くで関われる人材系の企業を志望するのは、当時の自分にとって自然な流れだった。

 

人材系の企業の採用シーズンは早くて、他の就活生がエントリーシートを提出しているときにすでに面接ラッシュだった。が、ことごとく、びっくりするぐらいこっぴどく落ちて落ちて落ちまくった、あっさりと。

3月末の時点でほとんど〝持ち駒〟が無くなってしまった。これはまずい、と一旦業種の縛りを解いて色んなところにエントリーシートを出しまくった。そんなとき、とある方の紹介で、なんだか面白そうな企業に出会った。正直何の事業をしているのかはリクナビの文や会社概要をよく読んでもわからなかったけど、とりあえずエントリーシートを出したら通り、面接に行ったら自分を偽らずに気持ちよく話すことができて、そこで働く人ともうまが合い、、、みたいなことが続いて、縁合って内定をいただいた。正直、内定をいただいたときも何の会社かよくわからなくて「IT系」としか認識してなかった。

そういった経緯があって働いているのが今の会社だ。クラウドサービスのベンダーであり、企業のWebマーケティング活動を支援している企業。そこで半営業・半マーケ的なことをさせてもらっている。

 

この業界に飛び込んだら、いやでもマーケティング系の言葉(だいたい横文字)に囲まれる。最初はとんちんかんで議事録を取るのも精一杯だったし常に検索してたけど(インターネットって便利!)、さすがに4年も働くと知らない言葉はかなり減ってきた。それに、デジタル(Web)への関心やアンテナも少しは高くなったとは思う。(もちろん、会社では底辺レベルだけど・・・笑)

 

あのとき私は、人に惹かれて、直感に動かされて、導かれるように今の会社を選んだ。

その結果、きっとこの業界にこなければ興味のカケラも湧かなかったことに触れているし、そこに面白みを感じている。「苦手分野だし、私はアナログ人間だからこの業界では無理」と頭で判断を下してこの選択肢をとっていなかったら、また違う道を進んでいたんだろう。 

 

好きなことや得意なことだけをとことん極めるのも素敵だと思いつつ、「不意に迷い込んだ街で過ごすうちにその街が好きになっていた」的な、予想外の迷子っていいなあと思う。 

今の得意不得意好き嫌い経験を活かせるかどうかだけを判断軸に、頭で下す判断はいつだって自分を半径5mから連れ出してはくれない。まだ知らない世界を見たい私は、心に判断を委ねてもう少しプカプカ浮かんでみようと思う。

【About you】♯104 おといさとこ

 

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■Basic Data

名前:おといさとこ

生年月日:1976年7月25日

 

■Interview

―まずは現在のお仕事について教えてください。

旅行関係のパンフレットを制作する仕事をしています。旅行プランの情報をまとめたり、コピーを書いたりといったことですね。転職して5ヶ月なのですが、前職は旅行系の広告代理店でのお仕事だったので、今制作しているようなパンフレットを企画・編集するお仕事でした。やりがいはあったのですが、今の仕事の方が自分には合っている気がしています。それに、前職時代はとても忙しくて土日もずっと仕事のことで頭がいっぱいだったのですが、転職して以前より時間に余裕ができて、ブログを更新したりと趣味を満喫できています。

blog.goo.ne.jp

 

―なぜ転職しようと思ったのですか?

今は正社員で雇ってもらってるのですが、前の会社では契約社員だったんです。もともとは短期の派遣で入って、そこから契約社員になりました。正社員採用試験を一度受けたのですが結果はダメで、「年齢的にも、正社員を目指すのであれば課長になってくれないと」と言われていました。課長になったら、パンフレットの制作には携わりません。やることは、社員の管理だったり数字をはじいたり。苦手意識を持っていたなりに通信教育を受けたり色々経営関係の勉強に手を出してみたのですが、どうもしっくりきていませんでした。そんなときに、ドラッカーの本を読む中で今までの自分のキャリアの棚卸しや目標について再度考える機会があったのですが、それをする中で「やっぱり自分がしたいことはこっちじゃないな。制作側でいたいな」と感じたんです。そんな時、祖母の介護問題が起きて、前職の仕事との両立の難しくなり、退職させていただきました。

 

―私がおといさんに出会ったのは「編集・ライター講座」を通じてですが、ということは、ちょうど転職前後の時期から講座を受講されてたのですね。

そうなんです。色々迷っていたときに、「再就職するにしても、クリエイターで仕事したいなら何かしら準備をしておかないと!」と思った一環で申し込みました。実は、受講料を振り込んだ翌週には転職先が決まったのですが(笑)、転職後はライティングをメインでやるので良い勉強の機会だと思いました。特に講座の中で役に立ったのは、Webライティング系の講義です。今までも今も関わっているのは紙媒体ですが、Web媒体にはとても大きな可能性を感じていたので、学びが新鮮でしたし、授業で習ったことは早速ブログにも取り入れています。あとは、印刷系の講義ですね。とてもわかりやすく解説してくださって、前職時代からの謎が解けてとても感動しました!

 

―書くことは昔から好きだったんですか?

はい。幼稚園の頃から自分で物語を書いてました。あと、小学校のときに、自分で物語を作ってクラスで発表する授業があったんですが、そのときに先生がすごく褒めてくださったのも嬉しくて余計ハマっていった気がします。それからも、中学のときは小説を書いてクラスメイトに読んでもらったり、高校では文芸部に入部して小説や詩を書いたりしていました。

あと、うちの高校では文化祭的なイベントの中で演劇をしなきゃいけなかったんですけど、そこでは脚本を担当しました。私はもちろん、役者をしてた子も人前で演じることに楽しみを覚えてしまって、卒業してからもOB・OG枠で出演し続けていました(笑)

 

―それはすごいですね(笑)乙井さんは脚本家を目指してたんですか?

実は目指していたのは演出家だったんです。受験が迫って進路をどうしようかと考えたときに、演出を学べる学校が東京の私立大学しか無くて、親には「国公立大学しか行かせられない」と言われていたので諦めていました。けれど、結果的に国公立に受からなかったので、必死にプレゼンテーションして(笑)、地元・大阪の芸大の文芸学科へ進学させてもらいました。そこなら戯曲なんかも習えたからです。

  

―演出家を目指したのはどういうきっかけからだったんですか?

高校1年生のときに、宝塚歌劇団の「華麗なるギャツビー」を観劇して、そこで「こんなかっこいい舞台が作れるのか!」って感動したんです。原作を読んでから観に行ったのですが、原作ではわかりづらかったことがすごく壮大になりながらもわかりやすく表現されていたし、何より舞台の転換がすごくかっこよくて(笑)それが演出に興味を持ったきっかけです。

 

―ロンドンに留学されてたことがあると伺いましたが、それも演出の勉強をするためだったんですか?

そうですね。大学に入ってからはとにかく海外の舞台を観たくてしょうがなかったのでバイトしてお金を貯めてはブロードウェイかロンドンに行っていました。その中でやっぱり海外で演劇の勉強がしたいと思うようになったのですが、金銭面などの事情もあって「一旦就職して3年間お金を貯めて飛ぼう!」と決意しました。結果、1年半で早々と辞めてしまうのですが(笑)

 

―なぜブロードウェイではなくロンドンだったんですか?

すっごく迷ったんですけど、「シェイクスピアが好きだったから」という格好付けた理由と、ロンドンの街への憧れが強かったからです。あとは、紅茶文化の国だから。私、珈琲飲めないので(笑)

 

―なるほど(笑)ロンドンではどういった生活をされてたんですか?

まず半年間語学学校に通って英語を勉強しました。その後は舞台の裏方の勉強をしたかったんですけど、留学に行く前に日本の留学専門の会社に聞いても「パフォーマンスの学校は紹介出来るけど裏方の専門学校は無いですよ」って言われていました。けれど、ロンドンに行って、よく舞台を観に行っていた劇場で手に入れた演劇専門の新聞の中に演出やステージマネジメントの勉強ができる専門学校の情報が載っていたんです。予算にも見合っていたので行ってみたら、生徒がたった3人の個人レッスンでしたが(笑)、そこに入って国籍の違う子たちと一緒に勉強をしていました。で、先生と仲間とで「ロンドンの小劇場で芝居をかけよう」となったんです。人数が足りないので、オーディションをして人を集めて動き出しました。私は制作的な立ち位置で動いていたので、稽古場やパブシアターを予約したり、チラシを発注して集客したり、当日は受付から小屋掃除から照明・音響までやりました。その準備期間の中で、先生が演出を付けている様子を近くで見ていて、「役者ができないと、演出はできない」って突き付けられました。役者に動きを付けるのも演出家の仕事なので、セットの転換は出来てもそっちは無理だなあと思いましたね。でも裏方として演劇に関われることにはとても幸せを感じていました。

そんなときに、「今やってる芝居をエディンバラのフリンジフェスティバルにかけるから一緒に行かない?」って誘いを受けました。スコットランドの首都エディンバラで約1ヶ月間にわたって開催される世界最大の芸術祭なので、もちろん行きたくて行きたくて。でも航空チケットの関係で一度日本に帰国しないといけなかったので、「稽古の時期に合わせて戻ってくるね」と約束して帰国してから数ヶ月間、再渡航のためにお金を稼いで、ロンドンに戻ってきたんです。で、「さあこれから稽古が始まるぞ」って時期のある日、母親から電話がありました。「おかしいなあ、どうしたんだろう」と不安に思って出てみると、「お父さんが末期がんで余命3ヶ月なの」と告げられたんです。ロンドンに戻ってきた直後のタイミングだったので迷いましたが、日本に帰ることを決めました。

 

 

―そのタイミングで、、、色んな葛藤があったでしょうね。

はい。そういった経緯があったので、帰国してからも「いつかフリンジフェスティバルに行くこと」が夢だったんです。だから身軽で居れるようにと正社員にはならず派遣で働いていました。そんな日々が2年ほど続いていたある日、インターネットサーフィンをしていると、かつて通っていた演劇学校のホームページを見つけました。学校からいつのまにか劇団になっていて、そこには「今年、またエディンバラに行く」って書いてたんです。すぐに先生にメールを送ってみると、「ぜひ来てくれ。大歓迎だ!」と言われて再度ロンドンに渡りました。そして3週間稽古に合流した後にみんなでエディンバラに行きました。毎日3本ほど公演をかけるのでかなり体力が必要だったし大変でしたが、芝居に浸れている幸せを感じる日々でした。しかも、同じ演目なのに、入るお客さんの雰囲気や反応によって、芝居が変化するんです。あるときは涙涙の舞台になったり、あるときは笑い声が絶えなかったり。そんな舞台を近くで観る中で、「お芝居は生ものだな」と感じました。

 

▼フリンジフェスティバルで出番待ちをしている女優陣

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▼フリンジフェスティバルでのチラシ

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―「お仕事として演劇をしていこう」とはならなかったんですか?

日本より演劇が根付いたロンドンにおいても、演劇関係の仕事だけでごはんを食べていくのはかなり厳しいんです。フリンジフェスティバルが終わったときは28歳になっていたこともあって自分のこれからを考えたときに、「演劇の世界に飛び込んで、好きなことはしながらもあまり稼げずお洋服も買えない自分」と「そこそこお金を稼いで、バーゲンのときくらいは服を思い切り買えるような自分」を両方想像してみたときに、後者がいいなと思っちゃったんです。おそらくフリンジフェスティバルでやりきっちゃって演劇に対する情熱も燃え尽きちゃったんでしょうね。ちょうどそのときに、渡航少しだけ派遣で働いていた会社の社長から「人手が足りないから帰ってきたら手伝ってほしい」と頼まれたので、帰国して就職することに決めました。

 

▼最後にロンドンに行った際、公演していたパブシアターの下のパブでの写真

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―日本に戻ってきてから、後悔とかもなかったですか?

やっぱりやりきれたので、後悔とかはまったく無かったですね。好きなことを思い切りできてよかったです。帰国したらしたで、mixiコミュニティを通じて「RENT」(リンク貼る)ファンの友人と出会ったりして、人生が大きく広がりました。彼らとは、今はときどきミュージカルライブを企画して公演する仲間になっていて、その中で私は訳詞を担当しています。

 

▼ライブグループのブログ

ameblo.jp

 

―今後、やってみたいなと思うことはありますか?

大きいことになっちゃうし、自分がどうにかする!って意欲があるわけじゃないんですけど(笑)、日本の小学校に演劇教育が導入されたらいいなと思っています。実は、先進国で演劇が芸術科目に取り入れられていないのって日本だけなんですよ。私はロンドンと日本、両方の劇団のお手伝いをしたことがあるんですが、演劇のスキルが全然違うんですよね。その理由の一つは、ロンドンの演劇関係者は皆演劇の専門学校を出ている一方で、日本の演劇に出ている役者さんって、特にミュージカル界では声楽家ダンサー出身の方が多いので、演技が二の次になってしまってる状況もあったりします。それに、知識量も全然違います。日本って、演劇の役者さんでも戯曲を読む習慣がある方は少ないのですが、ロンドンではオーディションを控えた役者の間で「次のオーディションでは、この戯曲からここの一説を演じようと思うんだ」なんて会話が飛び交っているんです。日本の演劇の質が向上するためには、やっぱり役者が増えること、そして観客も増えて観客の目が肥えることのどれもが必要だと思います。小さな頃から演劇に触れられる環境があれば、自然と演劇に興味を持って、演じる側・観る側になってゆく子が増えると思うんです。

 

願うのは、それくらいかなあ(笑)

私、長生きしたくないんです。生きて、病気になったり、お金に困って生活が困窮するのが怖いから(笑)

猪突猛進型で、「やりたいと思ったことはとりあえずやれ!」「やって後悔とやらない後悔だったらやって後悔」をモットーに、好きなことばかりしながら生きてきたので、思い残すことがないんですよね。この歳だから言えるだけで、60になったら生にしがみついてるかもしれませんが(笑) まあ、生きている以上は、「やってしまったなー!」って後悔をまだまだしていきたいですね。

 

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 ■My note

編集・ライター講座で出会ったおといさん。講座の中のワークで自分のことを話す際に「長生きしたくない!」「人間に尊厳死を!」と言っていてとても驚いたことを覚えている。というのも、これまで、このインタビューは同世代にすることが多かったこともあって(しかも、社会に出る前の夢に溢れた大学生たち)、皆両手で数えきれないくらいの夢を持っていたし、それらすべてをやり遂げるにはいくら長生きしても足りない!という感じだったから。

でも、今回お話を聞いてわかった。おといさんは、本当に自分に正直に、納得できる道をそれぞれの分岐点で選んできたからこそ、そう言えるのだと。長生きしたくない、と言うとインパクトがあるけれど、いつ死んでもいいと思えるくらい後悔の無い、最高に気持ちのいい生き方をしているのだなと思った。

人生に遅すぎるなんて無いけれど、今年来年が勝負な気もする。

あと2ヶ月とちょっとで26歳になる。

 

25歳になった頃から、なんだかものすごく焦りに駆られていた。

このままじゃいけない。そんな気持ちが渦巻いていた。

だけれども25歳になっても私は私のままで、特に何も変わらぬうちに今を迎えてしまっていると思う。

 

私は、何に焦っているのだろう。

今で十分幸せなはずなのに、何を手に入れたいんだろう。

その問いが堂々巡りしていた。今も、堂々巡りしている。

 

明確にあるのは、このままでは将来後悔してしまうこと。

今しか出来ないことに挑戦できていないこと。

守りに入ってしまっていること。

この3つだ。

端的に言えば、おもんない人間になってしまっている。

 

もっと、打ち込みたい。

もっと、変化したい。

もっと、もっと、感動したい。

 

 

数年前から、私のど真ん中に、あるもの。

それは、感動して生きていたいということ。

笑って泣いて悔しがって喜んで、生きているなあって、もっと、もっと、実感したい。

 

そのための手段を、すべて言語化することはできないけれど、小さな一歩から踏み出していくこと、できればその一歩を今までとは違う方向へ踏み出すことに尽きるんだとも思う。

 

 

馬鹿だなあと言われても、

鼻で笑われてもいい。

自分に正直に、生きていきたいよ。

 

それは、ときに孤独な自分との闘い。

だけど、進んでいれば必ず光は見える。少数かもしれないけれど、支えてくれる人もいるよ、きっと。

 

 

瑞々しい心を持ちながら、生きていくぞ。

この2年、どう生きるかで、きっと未来が大きく変わる。

とうもろこしごはんと生活と

ずぼらで適当な私だけど、憧れるのはきちんと生活をしてる人。
食事・睡眠・体のメンテナンス・住空間の整備などなど、、1番自分にかかわる生活や自分の体のことはちゃんとしてたいな、と思うようになったこの頃である。

たとえば、部屋がいつも整理整頓されている。自炊をする。アイロンをあてる。体調管理をする。居心地の良い部屋づくりをする。。
それらは、大きなことではない。
制度を変えるでも、誰かを助けるでも、会社を創るでも、ない、とても小さなことだ。小さな世界のリズムだ。
けれど、小さなことを大事にできる人しか、大きなことはできないと思うんだよね。※実際には小さなことをすっ飛ばして大きなことをできちゃう人も居るんだと思うけど、その人たちはあまり私の憧れるタイプではない

あと、生活を大事にできる人は、自分のことを大事にできる人だと思う。特に一人暮らしをしてると、掃除も料理も生活も、だんだんとおざなりになってくる。けど、「まあ、これでいっか」とならない人は、誰も見てなくてもゴシゴシと浴槽を磨き、彩りの綺麗なごはんを作り、太陽の下お布団を干したりしてる。
「あんまり頑張りすぎても、疲れるよ」というのは、正論だと思う。けれども、少しずつでも、一個ずつでも、生活を大事にすることを始めていけば、自信も心のゆとりも生まれてくる気がする。

それに、自分を大事にできるからこそ、人のことを大事にできるんだとも思う。いわば、すっごく地味な、でもとっても大事な基礎のようなものなのかもしれいな。

私の中でそのロールモデルとなってるのは、モデルの高山都さん。彼女のBlogやInstagramを見ると一目瞭然だけど、本当に生活を、自分を、大事にしてる。そして、いつも素敵な笑顔。あのひまわりのような笑顔は、周りの人を一瞬で幸せにしてしまうだろうなあ。

その都さんがよく作っているとうもろこしごはんを、昨日炊いてみた。※本物のとうもろこしではなく、コーン缶を使うという手抜きだけど。でもいいんだ。とっても美味しかったから。

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それにしても、自炊ってなんだか満足感高いよね。自炊にマメじゃないけど、作ってみると自炊良いなあって毎回なる。続けないと。


インスタ女子にはなれないし、テラスでカッティングボードに置かれたごはんを食べることや、メイソンジャーに興味があるわけではないけれど、生活を大事にできる人にはなりたいなと思う。あと、とうもろこしごはんもリピート決定。

麻央さんのニュースを見て〜他人事には思えない乳がん〜

小林麻央さんが乳がんである、というニュースを知って、驚いたし、ショックだったし、家に帰ってきて改めて報道を見ていると涙が止まらなかった。

美しくて明るくて女性らしくて、性格の良さが滲み出てるような方。

特にファンというわけではないけれど、好感を抱かずにはいられないような方だった。

そんな麻央さんが、実は乳がんだったというのだ。

 

驚き・ショックと同時に湧き起こってきたのは、決して他人事に思えない気持ち。

というのも、私は昨年健康診断で乳がん検診を受けた際、再検査となり、がんであるかどうかを調べるため病院にも通ったからだ。

そのときの体験は、怖くて苦しくて特別な感情を抱くもので、溢れてくる思いを記事にした。

 

mott-izm.hatenablog.com

 

結局、このときはがん細胞は見つからず嚢胞だと判断され経過観察となり、2月の定期再診の際にも「異常は無いので一旦これで終了で。」となっている。

それで安心していたが、今週会社の定期健康診断に行った際の乳がん検診でもドキドキは止まらなかった。怖かった。

エコーで先生が同じ箇所を入念に見ているたびに、すごく怖くて、とてもじゃないけれどエコー画面が見られなかった。

その後の触診の際には「特にエコーの結果も異常を書いてないし大丈夫」と言い渡されたが、エコーを担当してくださったのが無口で無愛想な先生だったこともあって、結果が返ってくるまではなんとなく不安だ。

※去年はこの初診の時点で「異常があるから大きな病院で診てもらいなさい。紹介状を書いておきます」と言われたので何も無いと信じたいが、診察してくださった先生も違うので怖い

 

というような背景もあり、正直今の自分にとって一番身近で他人事ではない命に関わるような病気が乳がんなのだ。

 

がんではないと言われた私でさえ、初診のときからその言葉を聞くまでは頭がボーッとしてあんまり考えられなくて、「死にたくない」とだけただ思っていた。心が休まらなかった。だから、がんと診断された方やそのご家族の気持ちを察すると、とてもとても胸が痛む。

 

普段、憂鬱になったり、嫌なことがあってもう生きるのがしんどいな、と思うことだってある。

けれど、こうした病気を前にすると、自分がどれだけ生きたがってるのか、当たり前だと思っていた味気ない日常がどれだけ幸せなのか、まだやりたいことも伝えたいこともたくさんあるんだってことを思い知らされる。普段の自分が、どれだけ自由であるのかも。

だからこそ、もっともっと素直に、生きていきたいな。そう、改めて思えた。

 

早く回復されて、日常を取り戻されますように。

その姿が、今も病気と闘う多くの人を勇気づけると思うので。願っています。

 

 

ブログを書くこと

「ブログ、書かないの?」「ブログ、もっと書いてよ!」

言われると、嬉しい台詞。その分、ドキッとする台詞。

 

ネタが無くてなかなか。。。なんて言っちゃいそうになるけど、ネタなんてなくたってブログを書けることは、大学時代毎日ブログを更新してた自分が一番知ってる。

有料のブログを書いてるとか、私が何らかの有名人だったりとかしたら、毎回価値ある情報を提供しようと思うとうーんと頭をひねってなかなか更新が難しいなってなるかもしれないけれど、そうじゃない私は何を書いたって許されるんだから。

それに、冒頭のような台詞をわざわざ掛けてくれる友人たちは、私のブログを読んで何か新しい発見をすること・学ぶことに対して期待してるわけじゃないってわかってる。

ただただ、私が書く文章を読みたいと言ってくれているんだ。それも、できるだけ素直な文章を。

これは、とっても幸せなことだ。

 

ブログを書けないのは、書こうと思ってないから。

そこを分解していくと、心が穏やかでなかったり、バタバタしてたり、遊んでばかりのとき(笑)は書けない。

 

最近は、梅雨入りもあいまってか、今はもっとじっくりと、自分の中に深く潜って行きたいし思索を深めたいしインプットしたいし創り出したいって思う。スケジュール帳は、できるだけ埋め尽くさないようにして余白を置いている。

深く潜るときに、ブログはちょうどいい。昔から、ブログを書きながら自分と対話してきた。ブログで言葉にすることで形になった思い、言葉にして改めて気付かされた本音、そういったものが過去、たくさんあった。そして今も旧ブログの後ろの方でひっそりと、でも輝いて座っている。

 

 

マイペースに、でも今までよりはハイペースで(週3目標)更新していきます。

通りすがって読んでくれた人は、ぜひぜひコメントくれたり、声掛けてくれたらうれしいです。

自己満足で書いてるけど、あなたに届くことで私の思いと声は力を増すと思うから。

やるせない気持ちと欲と

ここ数年、わりかし楽観的というか気にしない性格になった方だと思うけど、それでも突如悲しいとかつらいとか苦しいとか悔しいとかの感情が、自分の中に湧き出てきて、むくむくと心を覆い尽くすことがある。

それは、ひとたび湧き出てくるとすごい勢いで広がってゆくから、あれよあれよと言う間に負の方向へ引っ張っていく。

だけども、それと綱引きをして、ようやく自分の陣地へ引き込めたかな、五分になったかな、という頃には、不思議な清々しさというか、吹っ切れた感情が今度は代わりに広がってゆく気がする。

 

昔、とてもつらいことがあったときに、気を紛らわそうとするかのように動き続けていたら、「最近キラキラしてるね」とやけに言われた時期もあったっけ。

心の中は土砂降りだったのに。まあ、がむしゃらに動いているうちに晴れ間も差してきたんだけれど。

 

コンプレックスに感じていたことに、うわーってなりながら向き合ったときも、デトックスできたのかやけに久々に会った方に驚かれたりもした。

 

 

これまでの少しばかりの人生を振り返ってみると、私を動かしてきたのはいつも「どうしようもない負の気持ち」と「欲」だったことに気付く。

悔しさをバネにして、というカッコいい言葉はあんまり似合わない気がする。

感情から逃げるかのように、立ち止まって考えてしまうと涙しか流れないからそれを避けるかのように、別の何かに突進して、のめり込んで行く。

新しいことを、してみる。当たり前のことを、ちゃんとする。これまでの固定観念に縛られずに動く。

そんな小さな一歩を踏み出し続けるうちに、何かしらは前に進めてたのかもしれない。

 

そしてそのときにスパイスを添えるのが欲。

 

この前佐野さんが書いてたこのブログにとても共感したのだけれど、「ここではないどこかへ」的な、「別の自分に」的な欲。脱皮欲。

わずかばかりでも欲があれば、パワーを振り絞ることができる。

 

また最近むくむくと現れてきたそんな気持ち。

ちょっぴり面倒くさいし抱えて生きていくには重いから、どこかに置いていきたくなるんだけど、こいつと一緒に前に進んでいった方が予想できない未来になりそうで面白そうだから、ちゃんと抱えていこう。

 

2016年は、自分を見つめて動く年だなあ。